〔私の宣教スケッチ 1〕 錆び減るより研ぎ減る

団体に教師として入団して最初の教師会で新任挨拶の時言った自分の言葉が時々気になります。「刃物は何もしないで放っておくと錆び減ってしまいます。同じ減るなら使って使って研ぎ減るほうが良い。私は研ぎ減る方の牧師生活を送りたい。」と張り切って話したわけで、それ自体は悪くないことだと思うのですが、そのときのことがみように印象に残っていて(聞いた人々はもう忘れていると思いますが・・)皆さんの前で偉そうな、傲慢なことを言ったようで恥ずかしさを感じるのです。何もしないで錆び減っても、使い倒して研ぎ減っても一生は一生であれば、錆び減ったほうがよい。と今も思っています。しかし、使い減ったとしても、どういう使い方をして来たのか、本当に神に喜ばれる生き方をして来たのか、これから先、錆び減ってしまう危険はいっぱいである。とにかく主の御手に握られ、主に用いていただいているうちは錆び減ることはない。主の手を離れたら、たちまち錆び減るに違いないと思う。


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