礼拝の心得

日曜日は神さまを礼拝する日です。神さまを礼拝し、新しい一週間を始めましょう。神さまがともにいてくださる毎日が祝福されますように。礼拝は、どなたでもご参加いただけます。初めての方も大歓迎です。

現在、毎週日曜日朝10時から行われています。礼拝時間は約1時間ほどです。また早朝の礼拝が毎週日曜日朝6時30分から約30分ほど行われています。プログラムは同じですが、早朝礼拝は少し短縮した形での礼拝となります。

持ち物について

聖書や聖歌(新聖歌)は教会に備えられています。またその日礼拝で賛美する歌詞や、朗読される聖書はプロジェクターで映されますので、何も持たずにご参加いただけます。

礼拝に慣れてくると、自分の聖書、自分の聖歌(新聖歌)を持ちたくなる方もおられるでしょう。月に一度キリスト教の本屋さんが配達に来てくださいますので、注文ができます。教会スタッフにお声かけください。

献金について

礼拝はささげるものです。神さまに自らのすべてをささげること、ゆだねることをして新しい一週間に臨みます。その献身の証しとして礼拝において献金の時があります。

毎週説教の後に献金を感謝する祈りがささげられますが、私たちの教会では、席上献金は第一日曜日のみ行われます。袋がまわりますので、示されるままにお献げください。額は決まっていません。またご用意のない方は、まわってきた袋はそのまま隣の人のおまわしくだされば大丈夫です。席上献金のない日にささげようと思われるときは、礼拝堂の後ろに献金箱が備えられていますのでご利用ください。会計報告は、毎月配布されています。

服装について

大切な人に出会うために私たちは身なりを整えます。ましてや神さまにお出会いするのですから、それぞれなりに身支度をすることはよいことです。

かといって華美に整える必要は全くありません。一週間社会に仕えてきたお互いが、ほっと息をつけるところとして礼拝に集まりますので、ぜひ普段着のままでお越しください。

礼拝プログラム

前奏黙祷

招詩

賛美

交読文

祈り

主の祈り

賛美

聖書朗読

賛美

説教

使徒信条

賛美

献金感謝の祈り

聖餐式(第一日曜日)

頌栄

祝祷

はじめに

来会されるとまず受付の出席表の自分の名前のところに〇をつけます。初めてのかたは新来会者カードが渡されますので、差し支えない範囲で必要事項をお書きくださり受付にお渡しください。週報(必要な方は聖書と賛美歌集(新聖歌))をお持ちくださり礼拝堂にお進みください。礼拝堂では席は決まっていませんので、自由に空いているところにお座りください。携帯電話、スマートフォン等をお持ちの方は、礼拝中、進行の妨げになる場合がありますので、電源をお切りくださるか、マナーモードに設定してください。
礼拝開始定刻まで黙祷の姿勢をお取りくださってお待ちください。礼拝前の挨拶は、簡単に済ませて礼拝に備えましょう。

前奏黙祷

礼拝は沈黙から始まります。神さまのお言葉を聞く者としてまず礼拝者は黙します。オルガンによる奏楽がなされます。礼拝者は黙祷の姿勢をとり、こころを静めて主のご臨在を待ち望みます。

招詞

司会者がその日の招きの言葉を聖書から朗読します。礼拝者は語られるみ言葉に耳を傾けます。

賛美

礼拝では、4曲の賛美歌と、1曲の頌栄を歌います。賛美は、歌をもってささげる祈りです。歌詞を味わいながら、神さまに向かって祈り心をもって歌いましょう。

交読文

司会者と会衆が交互に聖書を朗読します。聖書の言葉を語る交わりをもって神さまを礼拝します。

祈り

最初の祈りは、司会者によってささげられます。その日の礼拝の祝福を祈り求めます。祈りの言葉に心を合わせ、最後に「アーメン」とご唱和ください。

「アーメン」とは、真実という意味のヘブル語です。祈られた言葉に同意する、というよりも、真実である神さまにお委ねします、との信仰をもって唱和します。

主の祈り

イエスさまが弟子たちに教えてくださった祈りです。マタイの福音書6章から文語訳によって整えられた言葉で祈ります。

聖書朗読

司会者が、その日の説教のための聖書箇所を朗読します。礼拝者は、朗読される聖書の言葉に聞きましょう。

説教

牧師から、聖書の説き証しが語られます。語られるみ言葉に耳を傾けましょう。約30分ほどです。分からないことや疑問に思ったことがありましたら、礼拝が終わった後に牧師にお尋ねください。

使徒信条

私たちが信じている信仰箇条を告白します。三位一体の神(父なる神、子なる神、聖霊なる神)に向かっての告白です。文語調になっていますので、分かりづらいかもしれませんので、ぜひ礼拝後に牧師にお尋ねください。

献金感謝の祈り

献げ物ができたことの感謝の祈りをおささげします。司会者に指名された礼拝者が祈ります。指名は突然になされることはありません。あらかじめ定められています。また祈りの言葉は、自由ですが、礼拝にふさわしい祈りであってほしいとの願いから、文章に整えられた祈りの言葉がありますので、それをお読みいただいても大丈夫です。いずれにせよ初めてご参加いただいた方に当たることはありません。

頌栄

一同が起立して短い賛美歌を歌います。

祝祷

そのあと、牧師から祝祷がささげられます。黙祷の姿勢をお取りくださり、祈りの言葉に耳を傾けてください。最後にアーメンとご唱和くださるとともに、互いの祝福を祈りましょう。

後奏黙祷

オルガンによる奏楽がなされます。礼拝者は黙祷の姿勢をとり、こころを静めて主への感謝をささげましょう。黙祷をもって互いの祝福を祈りつつ、今日語られた神さまの言葉を心に確かにし、新しい一週間に出発しましょう。

報告

司会者より、その日の週報に従って各種報告がなされます。

聖餐式

月に一度、第一日曜日に聖餐式が行われます。パンとぶどう汁が分餐され、ともに食します。献金感謝の祈りの後で行われます。

配られるパンとぶどう汁は、キリストのからだであり血です。これを食することによって罪の赦しを確信し、主に生かされていることを感謝します。また共に聖餐にあずかるお互いが主の愛のうちに一つであることをあらわします。

本来ぶどう酒が分餐されるところですが、未成年者もおられますし自動車で来会される方も多いので、私たちの教会ではぶどう汁によって聖餐式を行っています。

聖餐式には、どなたもその場に陪席いただくことができます。ただパンとぶどう汁にあずかることができるのは洗礼を受けた者のみです。洗礼を受けていない方はあずかることができません。
牧師が聖餐式の中で、「洗礼を受けていない方は、聖餐を受けることは控えるべきであります」と語りますが、「控える」とはあずかるために準備している、という意味ではなく、見合わせる、という意味です。
初めての方、未受洗の方は、祈り心をもって陪席してください。やがて洗礼の恵みにあずかり、ともに聖餐式にあずかる日が一日も早く来るようにと教会は祈っています。

なぜ未受洗者は聖餐を受けることを控えるべきであるのか

聖餐式で配られるパンとぶどう汁はキリストのからだであり血です。しかし実体的に変化してパンとぶどう汁がキリストのからだと血になるのではありません。パンとぶどう汁がキリストのからだであり血であると信じるのです。ですから信仰が必要です。

聖餐にあずかろうとする者は信仰が問われます。

私たちのうちに信仰があるかないか、どのようにしてそれは明らかにされるのでしょう。私の信じる力、能力によって明らかにされるのでしょうか。今日は信じている、今は強く信じている、という私の気持ちによるのでしょうか。聖書はいずれも、それらがいかにあやふやのものであるのかを語ります。もしそういった私の気持ちや決意が信仰であるとするならば、今日は信じる力が少なくなっている、あるいは信仰が希薄になって罪を犯してしまった、というのならば聖餐にあずからないのでしょうか。聖餐というのはそういう人間のわざなのでしょうか。

私たちは弱い者です。信仰が強くなる時もあれば、弱くなる時もある。しかしあの日あの時、何々教会において、何々牧師から洗礼を受けた。父と子と聖霊の名によって洗礼を受けた。その歴史的事実が私の信仰の土台である。そうであれば、私の気分がいかなる状態であっても、そこに信仰がある。あるいは神さまのご真実があると信じることができるのです。

ですからどうしても聖餐を受けるにあたり洗礼が問われるのです。

もし洗礼を問わずに聖餐式が行われるとすれば、そのパンとぶどう汁は、二つの過ちに陥ることになります。一つは、ただのパンとぶどう汁にしてしまうこと。もう一つは、逆にパンとぶどう汁がキリストのからだと血そのものに実質的に変化してしまうこと。いずれも偶像礼拝となってしまいます。

「だれでも、自分自身を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。みからだをわきまえないで食べ、また飲む者は、自分自身に対するさばきを食べ、また飲むことになるのです。あなたがたの中に弱い者や病人が多く、死んだ者たちもかなりいるのは、そのためです。しかし、もし私たちが自分をわきまえるなら、さばかれることはありません。」(第一コリント11章28~31節)

洗礼を受けていないと聖餐にあずかれない。それは未受洗者を差別しているのではありません。むしろ未受洗者の自主性を大切にし、もし聖餐にあずかりたいと願われたならば、いつでも洗礼への扉は開いています。ぜひ教会スタッフにお申し出ください。準備をして洗礼式にあずかりましょう。洗礼は、いわゆる卒業式ではありません。神さまとともに歩む人生への入学式です。信じてみたいとの願いをお持ちであれば、どなたでも受けていただくことができます。