静まりの時
- テーマ:主を喜ぶ
- 聖書箇所:ピリピ2・12~18
- 日付:2026年07月25日(土)
12 こういうわけですから、愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともにいるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさい。
13 神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。
14 すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。
従順になること。そうして、恐れおののいて自分の救いを達成すること。そのために努力をすること。
ここに明確に人間の行動が期待されています。救いは、人間の努力によって達成するとも読めてしまうところです。
しかし、それと同時に、神さまはみこころのままに、私たちのうちに働いていくださる。そうして事を行わせてくださる、とも語ります。
そして神さまが事を行わせてくださるのだから、すべてのことを不平を言わずに、また疑うことをしないで、行いなさい、と勧められています。
人間の信仰的決断、信仰による行為、行動、自分を変えていく、精進する、ということは、すべての人間の行いです。人間の責任も問われることです。しかし私たちが信じた神さまは、人間のつくった偶像ではなく、人間を造ってくださったまことの神さまですから、その行動のすべても、神さまの御手の中にあることとして信じることになります。もしそうでなければ、神さまの行動と人間の行動を常に対立的に捉えることになり、二つに一つ、どっちなのか、と問うことになります。この問いが生まれるのも無理のないことですが、その問いが生まれている、ということは、実は、全知全能の神を信じていない、あるいは信じ切れていない、ということがあらわにされていることではないかと思います。
私たちは、不平を言わず、従順に、誰彼のことではなく自分自身の救いを達成するために、ただ努力をします。それが主にある者の敬虔だと思います。