「祝福は年中怠るべからず。祝福は勤労にあり。其心に在り。豈故らに金銭を要せんや。抑も除夜に至りて新たなる福年を迎へんと欲せば、年中毎夜に於て其準備を為さざるべからず。故に宜しく常に其怒を除くべし。其慾を去るべし。始終神の愛の在る所を感じて、主の命ずる所を奉ずべきなり。夫れ如此くにして年末の福至り、新年開進の基とならむ、是れ時に法なり。」
新井奥邃、『聖言』、131
「祝福は年中怠ってはならない。祝福は勤労にある。その心に存在する。どうしてことさらに金銭を必要とするのだろうか。そもそも年末を迎え、新しい年を祝福の年として迎えたいならば、年中毎夜において、そのための準備を為さなければならない。よって常に怒りを除かなければならない。また欲を除き去らなければならない。始終神さまの愛があることを感じて、主の命じられるところを務めなければならない。そのようにしてこそ年末の祝福に至ることができ、新しい年において人知が開け、文化が進歩することの基礎となる、これこそ時の法則である。」
怒りや欲望を除き、神さまの愛を信じて、神さまのみここを追い求め、努めて実行しましょう。それは日々の地道な取り組みです。それこそ神さまの祝福に生きる道であり、周りの人びとに祝福を与える生き方です。
年末に一年を振り返って幸福を願い、新年にあたってその年の幸を祈るのですが、上記のような日々の取り組みをしないで祝福に生きることはできません。大切なことは毎日をどのように過ごしているか、その積み重ねが人生の祝福となるのです。
祝福を「開進」と現わされましたが、それは単に個人的な幸福を飲みを語るのではなく、家庭、地域社会、学び舎、会社、社会、世界をも視野に入れた幸いです。その幸も、私という人間、そして一人ひとりの日々の信仰生活、すなわち、怒りを捨て欲望を捨てる生き方に根ざすのです。
〔聖書の個所〕
小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。また、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。
(ルカ16章10~12節)
人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
(ヤコブ1章14~15節)
愚か者は自分の怒りをすぐ現わす。利口な者ははずかしめを受けても黙っている。
(箴言12章16節)