「凡そ一体たる者は分離すべからず。上なる者下体なくんば以て神に於て立つは能はず。下たる者上体なくんば、則ち得て人を思ふべからず。並に人を成す能はざるなり。惟一尊神の自体に於て無限の階段あるは、乃ち生命循環、萬有順睦にして宇宙に大和する所以なり。故に上下は無からざるべからざるも、当に階段相接すべし。順を以て相継ぐべくして必ず懸隔すべからず。」
新井奥邃、『聖言』、143
「おおよそ一体であるものは分離してはならない。上であるものは下の体がなければ、神の前に立つことはできない。下であるものは上の体がなければ、人のことを思うことができない。また人を形作ることはできない。ただ一つの尊い神の御存在それ自体において限りない階段がある、すなわちいのちがめぐり、すべて造られたものが正しく親しみ宇宙に大きく和合することの理由である。よって上下は無くさなければならないことであり、まさに階段はお互いに接近している。順序良くそれぞれがつながっているべきであって、遠く離れさせてはならない。」
私たちの体を、霊魂と肉体とにわけて二元論的にとらえるてはいけません。一つの体(からだ)としてとらえていくことが大切です。切り離して考えてはいけません。
神さまご自身がお一人の御方であり、その一人の中に愛と義が存在するのであって、その愛と義も切り離してはいけません。兄弟姉妹も、人間と被造物もそれぞれをバラバラにしては理解できないのです。バラバラであれば理解したとしても間違った理解となるでしょう。
〔聖書の個所〕
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
(ローマ12編1節)
あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
(第1コリント6章19節)