「人は当に安んずべし。安んぜざれば以て生命を伸ぶる能はず。人は当に勉むべし。勉めずんば生命を持する能はず。勉強と安寧との人の生命に於けるや、猶其水火に於けるが如く離るべからず。之を体するに道あり。誠に基督の安を心胸に安んぜずんば、其勤動する所道に中るを得べからず。而して誠に勉めて道を履む者に非ずんば、主の安を受けて之を安ずる能はざるなり。」
新井奥邃、『聖言』、149
「人は当然安寧であるべきである。安寧でなければ生命を長らえることができない。人は当然勉めるべきである。勉めないならば生命を維持することができない。人の生命における勉強と安寧とは、ちょうどこの水と火におけるように離してはならない。これを体得するに方法がある。まことにキリストの平安を心と胸に受けて平安となるのでないならば、一所懸命に行動したとしても、この平安の道に行き着くことができない。そうして誠実に勉めて道を進む者でないならば、主の安きを受けてこれを安んずることができない。」
平安と平和ということばは、聖書では同じ言葉(ギリシャ語の単語)が使われています。平安というと心のなかが安寧である、戦いがないといことであり、平和というと心の外にあるさまざまなことや人と戦いがないということだと思います。この平安と平和は、切り離して考えるものではなく、一つのこととして考えるのです。平和がないと平安がありません。平安がないと平和が崩れていきます。
もちろんさまざまな戦いは自分の心の状態によって生まれるだけではありません。人生にはさまざまな戦いがあります。しかしキリストの平安を心と身体に持っている者は、さまざまな戦いの中にも、平安に生きることができます。
この世で一所懸命に生きようとすると、あんがい戦いが生まれてくるのかもしれません。一所懸命行きつつ、平安を失わずに生きる道を、キリストは与えてくれるのです。
〔聖書の個所〕
わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
(ヨハネ14章27節)
その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
(ヨハネ20章19~22節)