カテゴリー: 新井奥邃

  • 「抑(そもそ)も愛は智より大なりと言ふは何ぞや。夫れ智と愛とは二而一にして相離るべからざるも、愛は畢竟本となればなり。愛は謙なり。能く人に下りて人を養ひ、能く智に伴ふて又智を養ふ。故に智の真なる者は常に愛を推重す。美の美たるを知りて疑はざるは智の真なり。而して此の智は必ず愛の発揮に因りて相照す。」

    「抑(そもそ)も愛は智より大なりと言ふは何ぞや。夫れ智と愛とは二而一にして相離るべからざるも、愛は畢竟本となればなり。愛は謙なり。能く人に下りて人を養ひ、能く智に伴ふて又智を養ふ。故に智の真なる者は常に愛を推重す。美の美たるを知りて疑はざるは智の真なり。而して此の智は必ず愛の発揮に因りて相照す。」

    新井奥邃、『聖言』、198

    「愛は智よりも大切である、というのは何故であろうか。智と愛とは二つにして一つであるからお互いに切り離すことはできないが、愛は結局のところ根本である。愛は謙遜である。人に対して深くへりくだり、人を養い育て、智によってまた智を養う。ゆえに真実の智者は、常に愛をたっとび重んじる。美の美を知って疑わないのは、真実の智者である。そうしてこの智者は必ず愛を発揮することによってお互いに照らし出す。」

     愛さえあれば、知恵は必要でないというのは、浅はかです。知恵のない愛がいかに人を傷つけ滅ぼしてしまうことかと思います。ですから知恵は大切です。しかし知恵さえあれば良いというものでもありません。
     愛と知恵が一つになるようなところで、真の愛がなされるのです。
     科学が発達し人間の知恵は前進しますが、そこに愛があるか、謙遜があるかは大切なことです。愛に裏打ちされた人間の知恵でないならば、人を生かすものにならないでしょう。愛に裏打ちされるということは、謙遜さを持つということです。謙遜は、人に対してのみならず、神さまに対して持たなければ、真の謙遜ではありません。
     愛と知恵が一つになるような人生を歩む者でありたいと思います。

    〔聖書の個所〕

    愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
    (第1コリント13章4~7節)