カテゴリー: 新井奥邃

  • 「現界を棄てて霊界を求むる者は、基督の道に非ざるなり。個人を棄てて天下を治めんと謀るは神の道に非ざるなり。此れと同時に、個人の救道を説きて、広く社会の救ひに及ばざるは、又基徳の教へに非ず。社会の道を説きて、内外の政治に及ばざるは、又基督の教へに非ず。」

    「現界を棄てて霊界を求むる者は、基督の道に非ざるなり。個人を棄てて天下を治めんと謀るは神の道に非ざるなり。此れと同時に、個人の救道を説きて、広く社会の救ひに及ばざるは、又基徳の教へに非ず。社会の道を説きて、内外の政治に及ばざるは、又基督の教へに非ず。」

    新井奥邃、『聖言』、112

    「現実の世界を捨てて霊的な世界を求める者は、キリストの道に歩む者ではない。個人を捨てて天下を治めようとすることは、神の道ではない。これと同時に、個人の救いの道を説きつつ、広く社会の救いに影響を与えないのは、またキリストの徳の教えではない。社会の道を説きつつ、内外の政治に影響を与えないのは、またキリストの教えではない。」

     現実の世界と霊的な世界を二分して考えるのは考えやすいのですが、そういう二元論を聖書は語りません。それらは一つであると語るのです。
     個人と世界、個人の救いと社会の福祉、社会の福祉と政治経済の健全な前進、国際社会の平和、日本の貢献などなど。すべてにおいてキリストの心を求めていくことが大切です。切り離してはなりません。
     信仰と実践。つまり生き方そのものが、金太郎あめのようにどこを切ってもキリストの顔が出てくることこそ目指すべき目標です。

    〔聖書の個所〕

    神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」
    (創世記1章27~28節)

    そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。
    (第1テモテ2章1~2節)