カテゴリー: 未分類

  • 「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである」。 ルカによる福音書12章49節

    〔世に抗して〕

    2015年2月11日(水)

    イエスが来られたのは、平和をもたらすためではない(マタイ10章34節)。イエスの使命とその福音の意味と意図は、世界の「革新」であります。
    ・・・
    今やあの炎が燃え上がります。今ここで生ずるのは、人びとが定められた行為と行動様式へと奮起され、それにより存続するものの世界から、継続の歴史から少し歩み出ることです。それはどんなに暫定的で弱くても、完成の予徴、すでに到来していてついに明らかにされる御国の生きた徴であるためなのです。
    それは「預言的な」人びとであります。あるいは特別な、ひょっとすると小さくともやはり預言的使命を持つ人びとなのであって、その使命の実現において御国の子らとして考え、語り、行動しなければなりません。・・・隣人たちに対しても異邦人とならざるを得ないような道を行かなければなりません。

    カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
    小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、97f。

    この世界に「火を投ずる」お方とともに自分がいることをすぐに忘れてしまいます。
    波風が立つことを恐れ、波風が立ってしまったなら後悔し自分を責めます。
    しかし世の終りまであなたと共にいます、とお約束してくださったお方は、この世に火を投ずるお方なのです。

    このお方が投ずるのですから、それは滅びに向かいものではなく、常にいのちにつながるものでしょう。
    忍耐と愛を見失わないできょうも一日を過ごしたいと思います。

    (祈り)

    神さま、あなたが投ぜられた火を信仰を持って受け止めることができますように。