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  • 「(その女中は、)ペトロが火にあたっているのを目にすると、じっと見つめて言った。『あなたも、あのナザレ人のイエスと一緒にいた』」。

    〔イエスのご受難の前にある人間〕
    2015年3月29日(日)

    キリスト者は、たとえ最も辛い苦境にあろうとも、彼にはこの問い、この苦境と受難が免れていることを明らかに知っていてよろしい、なぜならあの一者の苦しみによって取り去られているからです。ただしキリスト者はあの一者の苦しみの「証人」として、苦しみを受け苦しまなければなりません。

    カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
    小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、179f。

    すべての苦しみはすべてイエスさまが背負ってくださいました。私たちは自分一人でそれらの苦しみを背負う必要はありません。

    人間が経験するあらゆる苦しみに加えて、証人としての苦しみ、がキリスト者に与えられています。これがキリスト者のキリスト者ならではの苦しみである、といいます。

    ペテロはこの苦しみから逃げようとします。そのことを福音書は正直に書き記します。つまりそこにおいても人間は無力であるということを聖書は語るのでしょう。その無力を誰よりもご存知のお方がイエスさまであり、そのうえで私たちを愛してくださいました。

    (祈り)

    神さま、私の無力をご存知の上でなお愛し続けてくださること。感謝します。