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  • 「主をたたえよ、日々」 詩篇68編20節

    〔ほめたたえる教会〕
    2015年5月5日(火)

    私の意見やあなた方の意見すべてより限りなくずっと高く良いものです。「主をたたえよ、日々!」 これは全く、私たちすべて「について」、私たちすべて「に対して」、だが何より私たちすべて「のために」ある「真理」です。
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    主を「たたえよ!」「たたえる」とは端的に言って、正しいと認める、承認する、という意味です。―それは、主の賞賛が問題であるなら、私たちが自らを不当とみなし、自らを良しと承認できないということなくしては、不可能です。
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    主に「日々」、つまり毎日捧げられるべき賛美がテーマです。
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    主をたたえる、主を正しいと認める、それは一つの出来事、毎日にとって大した事柄です。何ゆえでしょうか。主は日々私たちがやって来た起源であるからであり、日々私たちが向かって行く目標であるからです。

    カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
    小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、257f。

    どのような状況の中にあっても、どのような感情を抱いていても、神さまをほめたたえること、神さまを正しいと告白すること、それが人間の健やかな歩みを築きます。
    自分がそのように判断し、認めることができるので、主をほめたたえるというのではありません。自分の判断がどうであれ、ひたすら主をほめたたえるのです。
    人生の支配者は、私ではなく主ご自身であるからです。私たちはどのようにこの地に生まれてきたかを知りません。またどのように死んでいくかを知りません。主がご存知です。ですからどのような中にあっても主をほめたたえることが、健やかな歩みを築くのです。

    (祈り)
    神さま、あなたをほめたたえます。