〔主よ、私たちに祈ることを教えてください〕
2014年5月8日(木)
「主よ、わたしたちに祈ることを教えてください」。こう弟子たちはイエスに質問した(ルカ11:1)。こう問うことによって、彼らは<祈りというものが、自分たちからは不可能である>ということを告白した。
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祈るとは、自分の心をもって、神への道を見いだすということであり、神と語るということである。誰もそのことを自分からすることはできない。祈るために人間はイエス・キリストを必要とするのである。
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キリストが、われわれと共にいて、われわれをキリストの祈りに引き入れてくれるなら、われわれがキリストの祈りと共に祈ることを許されるなら、キリストがわれわれと共にいて、われわれを神へ向かうキリストの道へと導き、われわれに祈ることを教えてくれるなら、われわれは祈れない苦痛から解放されるのである。そのことをイエス・キリストは望んでいる。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、230頁ff。
人間には生まれつき、祈りの心を持っているのでしょうか。何らかの神仏やおおいなるものを思い描き、それに向かって心を注ぎ出す、願いを語るということをしているのでしょうか。確かにそういうところを持っているようにも思います。
しかしボンヘッファーは、それは不可能である、と語ります。あるいはそのよう中で生まれた祈りは、聖書の語る祈りとは異質なものである、と語っているようです。
真の祈りは、神さまによって可能である、というのです。
私たちがイエスさまの祈りの中に引き入れられることによって、祈りが私たちにはじめて可能となる、のです。私たちはイエスさまに祈りを学ばなければなりません。
イエスさまは、私たちをイエスさまの祈りの道に招いていてくださいます。イエスさまの招きの中へと歩み始める時、私たちは祈る者へと造り替えていただけます。
そうして祈りの人に造り替えていただくとき、私たちは真の人間となります。
(祈り)
神さま、祈りを教えてください。