投稿者: 塩辛と お茶漬け

  • 神のご性質にあずかる者となるためです

    静まりの時 第二ペテロ1・3~11〔実を結ぶ〕
    日付:2024年07月13日(土)

    「3 私たちをご自身の栄光と栄誉によって召してくださった神を、私たちが知ったことにより、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔をもたらすすべてのものを、私たちに与えました。」

     主イエスさまは、ご自身の御力によって、「いのちと敬虔をもたらすすべてのもの」を私たちに与えて下さいました。それは、私たちが、「私たちをご自身の栄光と栄誉によって召してくださった神」を知ったことによります。
     神さまを知る、ことによって、私たちは「いのちを敬虔をもたらすすべてのもの」をいただくことができたのです。またそれ自体も、私たちが獲得する、というよりも、神さまが与えて下さったものである、と聖書は語ります。
     神さまを知る、ということのもたらす祝福が語られてるのですが、では神さまの何を知るのか、というと、神さまが「ご自身の栄光と栄誉によって召してくださった」ということを知る、ということです。
     神さまの栄光と栄誉。本当に神さまはおられ、光を放ち、その存在感たるや圧倒的なものである、ということ。そのことによって、私たちは召された、救っていただいた、ということを知る。私たちが召されたのは、私たちに何らかの理由があるのではなく、ゆるぎない神さまのほうに、その理由がある。だから私たちのこの救いは、決して変化することがない。

    「4 その栄光と栄誉を通して、尊く大いなる約束が私たちに与えられています。それは、その約束によってあなたがたが、欲望がもたらすこの世の腐敗を免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。」

     さらに、「その栄光と栄誉」を通して、「尊く大いなる約束」が与えられています。
     約束、とは、将来に与えられるもの。私たちは、イエスさまに召されて、その後、どのようになっていくのか。どのような道を歩むのか。それは「欲望がもたらすこの世の腐敗を免れ、神のご性質にあずかる者となる」。それが約束されている。

    「5 だからこそ、あなたがたはあらゆる熱意を傾けて、信仰には徳を、徳には知識を、
    6 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、
    7 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。」

     約束されているので、安心して「あらゆる熱意を傾けて」、新しい信仰生活を生きて行きなさい、といいます。
     「信仰には徳を」。信仰があるとするならば、それにさらに徳を加えなさい、と言います。信仰だけではいけない、信仰だけになると見失われるものがある、それは徳を積み上げることだ、行いではない、という義認信仰が徳を積むことを放棄するための言い訳になってはならない。
     「徳には知識を」。また徳だけになってもいけない。徳を積むというは、とかく暴走してしまう。正しい知識が必要である。
     「知識には自制を」。知識はときに人を高慢にさせる。自制すること、節制することを忘れない。
     「自制には忍耐を」。自制や節制が、忍耐なくして行われるならば、それは単なる修行となり自らの誉れ、自己中心が増し加わるだけである。我慢ではなく、忍耐をする。希望をもって、明るい気持ちで自制をしよう。
     「忍耐には兄弟愛を」。忍耐が独善的に行われることがしばしば起こってしまう。ともに生きている仲間を忘れないようにしよう。自分だけが忍耐しているのではない。互いに励ましあおう。
     「兄弟愛には愛を」。互いに愛する愛を私たちは持ち合わせてはいない。愛は神さまからいただくものである。神さまに愛されていることを忘れずに、兄弟に愛に生きていく。

    「8 これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、私たちの主イエス・キリストを知る点で、あなたがたが役に立たない者とか実を結ばない者になることはありません。」

     神のご性質(本性)にあずかる者となる。それを神さまが約束くださったのですから、かならずそのようにしてくださいます。必ず役に立つ者、実を結ぶ者となるのです。

    「9 これらを備えていない人は盲目です。自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまって、近視眼的になっているのです。」

     近視眼的。近くしか見えていない。もっと遠くを見よう。遠くとは、将来のことであるのか。それもあると思います。今の自分の姿しか見ないのではなく、将来に神さまが約束してくださった、神さまのご性質にあずかった私の新しい姿を見る。それとともに、近視眼的になると「自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまう」。つまり過去の自分の姿と、過去に神さまがなしてくださった御業を忘れてしまう。それが見えなくなっている。だらかその歴史的な事実を忘れないようにしよう。しっかりと過去を見つめよう、というのです。

    「10 ですから、兄弟たち。自分たちの召しと選びを確かなものとするように、いっそう励みなさい。これらのことを行っているなら、決してつまずくことはありません。
    11 このようにして、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みを、豊かに与えられるのです。」

     永遠の御国に入る恵みを私たちはすでに与えられています。そのすでに与えられている恵みが、さらに豊かに与えられる。何かを付け加えるのではなく、すでに与えられているものの素晴らしさをより深く知る者となる。そのために励む。それが信仰者の道だ、というのです。
     より深くキリストを知る。そうしてキリストの本性にあずかる者となる。そうしてすでに与えられた神さまの恵みを深く知る。それは、何よりも礼拝において養われ実現されることです。

    【第二ペテロ1・3~11】
    3 私たちをご自身の栄光と栄誉によって召してくださった神を、私たちが知ったことにより、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔をもたらすすべてのものを、私たちに与えました。
    4 その栄光と栄誉を通して、尊く大いなる約束が私たちに与えられています。それは、その約束によってあなたがたが、欲望がもたらすこの世の腐敗を免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。
    5 だからこそ、あなたがたはあらゆる熱意を傾けて、信仰には徳を、徳には知識を、
    6 知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、
    7 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。
    8 これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、私たちの主イエス・キリストを知る点で、あなたがたが役に立たない者とか実を結ばない者になることはありません。
    9 これらを備えていない人は盲目です。自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまって、近視眼的になっているのです。
    10 ですから、兄弟たち。自分たちの召しと選びを確かなものとするように、いっそう励みなさい。これらのことを行っているなら、決してつまずくことはありません。
    11 このようにして、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みを、豊かに与えられるのです。