2012年05月30日(水)
しかし主の慈しみの約束は、最後の昼と最後の夜を目指して与えられている。この約束が終りの日まで続くゆえに、キリストは、あのように度々、またあのように多くの言葉で終りの日の苦しみや戦いの叫びや恐怖や悩みや諸民族の戦慄や逡巡について、また諸国民の不安について、語られるのである。それは、その慈しみが、そのような終りの日にもやむことがなく、その日にも救いがあるということを、私たちに告げるためである。
リュティ、『この日言葉をかの日につたえ』、189頁
(詩編42:8)
主は一日24時間、昼も夜も、すべての時をご支配されています。また祝福の御手をもって私たちを導いていてくださいます。
リュティは、この昼と夜は終りの時の昼と夜をも指しているといいます。終りの時とは審きの時であり、最終的な苦しみの時です。しかしその時でさえ主はともにいて慈しみを施して下さると語ります。終りの時が聖書には大変厳しく記されていますが、それも、それほどに厳しいときであっても主の慈しみはやむことがないということが語られているのです。
私たちには今も苦しみの時があります。しかしその時でさえ主の慈しみは決してやむことがないということを忘れないでいたいと思います。