ペンテコステの朝における、あの人々の一致は、貧しさの一致であり、ゼロの一点における一致である。彼らはみな、共に、自分たちが何ものでもないということを、また自分たちが何も持っていないということを知った。彼らは、聖金曜日の浄罪火の中を、通り抜けてきたのである。その時以来、「われわれはキリストと共に死んだのだ」と、力強い言葉で記すことのできたある事が、彼らに起こったのである。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、193ページ
行伝2章1節2012年06月02日(土)
一致をすることが難しいのです。自分が豊かである、能力がある、賜物がある、あればある程一致するのが難しいのです。
しかし貧しさを知ると一つになることができます。貧しくなるというよりも、もともと貧しいのですから、その貧しさを知るということです。
共同体に生きる、連帯の中に生きる、協力するということも、貧しい者にだけゆるされた特権です。