投稿者: 塩辛と お茶漬け

  • 異邦人の中にあるキリスト者

    〔恵みとしての交わり〕

    2014年4月14日(月)

    「見よ、兄弟たちが和合して共に住むことは、いかに麗しく楽しいことであろう」
    (詩篇133編1節)

    神の民は、それぞれ遠く離れた国々で、しかも不信仰者の中で、生活しなければならないが、しかしそのことによって、世界のいたるところに神の国の種子が存在することになるであろう。
    ・・・
    神の民は、今この時には、不信仰者の間に散らされており、ただそれぞれ遠く離れた国々でイエス・キリストを思うというかたちにおいてのみ、ひとつとされているのである。
    ・・・
    囚人、病人、散らされ孤独でいる者、異教国における福音の宣教者などはただひとりである。だが、彼らこそ、目に見える交わりが恵みであるということを知っている者なのである。

    ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
    村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、188頁f。

    交わり。これは教会用語となっていると思います。
    交わりの基本は、イエスさまとの交わりです。そしてイエスさまとの交わりを通して、兄弟姉妹との交わりをいただきます。兄弟姉妹との交わりが豊かで尊いものであるのは、イエスさまとの交わりが基本となっているからです。イエスさまとの交わりをはぶいた兄弟姉妹との交わりは、豊かなものにはなりません。
    この兄弟姉妹との交わりは、当たり前のことではないとボンヘッファーは語ります。現実は、キリスト者は世界に散らされており、不信仰者の中に囲まれているのです。
    しかしそこでこそ、イエスさまとの交わりが与えられ、また目に見える兄弟姉妹との交わりが恵みであることを学びます。
    人間は、ひとりになる時があります。しかしイエスさまと共にいるならばひとりではありません。交わりの中に生かされているのです。

    (祈り)
    神さま、キリストとの交わりが与えられていることを感謝します。きょうも、キリストとの交わりを基本とした兄弟姉妹の交わりの中に送り出してください。