投稿者: 塩辛と お茶漬け

  • 雇い人

    〔良い羊飼い〕

    2014年4月22日(火)

    預言者や使徒すらも逃げ出したことがあった。また、イエスは、正しい奉仕をすることのためにもし必要なら、逃げ去るようにと弟子たちに命じたことがあった。したがって、逃げる者がみな、雇い人なのではない。
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    「逃げ去る」ということは、語るべき時に、語らないこと、行動すべき時に、行動しないことでもある。
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    どんなに誠実な牧師がいるとしても、彼は良い羊飼いではない。しかし、もし誠実な牧師がいるとしたら、彼は「自分の教会」が自分のものではなく、主イエスの共同体であること、そして、イエスはこの共同体のために死んだのであって、主イエスのみがこの共同体の良い羊飼いであるということを知っているであろう。そしてそれゆえにこそ、彼はイエスをいつも共同体の唯一の良い牧者たらしめ、みずから逃げ去ることはしないであろう。しかし、良い羊飼いの共同体のことより、自分の職や、自分自身のことや、自分の手に入れるもののほうが重要な牧師は、雇い人である。そのような牧師は、おそらく、たいていの場合、自分の所有物だと考える「自分の教会」にとどまろうとするであろう。しかし、まさにそのことによって、彼は、「逃げ去る」ことになるのである。

    ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
    村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、200頁ff。

    ボンヘッファーの語る「逃げ去る」ということは、単純にこの世的に見て放棄するということではないようです。逃げ去るということは、教会をまるで自分の所有物のように思い、教会を自己実現の場所として、そこから搾取するために、語るべき時に語らず、行動すべき時に行動しないこと、ということです。
    つまり自分がうまいことするために、共同体に対してちやほやすること、ということでしょうか。
    牧師は、教会がキリストのものであること、良い羊飼いは主イエスさまだけであることを指し示し、語るべき時に語り、行動すべき時に行動する、そして逃げ去らなければならない時には神さまにすべてをゆだねて逃げ去る信仰に生きる者です。

    (祈り)
    神さま、あなたこそまことの良い羊飼いであることを感謝します。あなたにすべてのことをゆだねることができるようにきょうも導いてください。