投稿者: 塩辛と お茶漬け

  • 異教の地のただ中で、故郷にすでにいる

    〔主よ、私たちに祈ることを教えてください〕

    2014年5月14日(水)

    「あなたがたはすでに死んだ者であって、あなたがたの生命は、キリストと共に神のうちに隠されている」。これはわれわれに与えられている輝かしい約束である。たとえわれわれの外見上の生がどのようなものであろうと、この事実には変わりがない。・・・たとえわれわれの良心が、幸福に喜び踊っているとしても、あるいは、<この自分の生命は、われわれ人間によって、栄光を帰することもできず、天にあげることもできない>という恐るべき告訴に打ちのめされたとしても、この事実に何ら変わりがない。
    ・・・
    われわれの生がたとえどのようなものであろうとも、神はわれわれの生命を、神の力の支配する隠れた場所に引き上げるのである。
    ・・・
    喜びや成果をともない、不安や苦痛や不従順をともなうわれわれの外見上の生こそが、イエス・キリストのゆえに、全能者の眼前に、聖なる、責められるところのない、完全なものとして、あの隠された神の世界の中に、今日も明日も永遠に立つのである。どのような涙もむだに流されず、どのようなため息も聞き流されることはなく、どのような痛みも軽くあしらわれず、どのような歓喜の声も消え失せることはない。

    ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~
    村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、240頁ff。

    神さまは、わたしたちを隠していてくださいます。親鳥がその翼でひな鳥をかくまうように、神さまはわたしたちを隠していてくださいます。
    この世にあっては、自分の業績で一喜一憂します。自分の発言や行動で一喜一憂します。しかしわたしたちの生は神さまの力の支配する隠れた場所に引き上げられています。安全地帯の中に置いていてくださるのです。
    移り変わる歓喜の中にあっても、安全地帯に置かれている自らの生があります。
    非難の嵐の中にあっても、自らの生は安全地帯に置かれています。
    安全地帯においては何も失われることがありません。
    わたしたちは、御翼の陰に隠されているのです。何も恐れる必要はありません。

    (祈り)
    神さま、あなたの御手の中に置いていてくださることを感謝します。