投稿者: 塩辛と お茶漬け

  • 敬虔な者の交わりにすぎないのか

    〔聖なる者の共同体〕

    2014年5月30日(金)

    キリスト者の交わりは、ただ、イエス・キリストによってのみ結びついている。それゆえこの交わりは「霊的な」現実なのであって、決して人間の「精神的な」現実なのではない。キリスト者の交わりは、この点で、他のすべての共同体と決定的に区別される。
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    「霊的な交わり」の中には、互いに兄弟として奉仕しあう明るい愛であるアガペーが生きているが、人間の「精神的な交わり」の中には、敬虔な、あるいは不敬虔な衝動に動かされる暗い愛であるエロースが燃えている。それゆえ、「霊的な交わり」の中には、お互いに兄弟としての謙虚な従属があるが、人間の「精神的交わり」の中には、謙虚に見えながら、その実は高慢な従属関係が、すなわち自分の欲望に相手を従わせようとする従属関係があるだけである。
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    「霊的な交わり」においては、お互いの間の「直接的な」関係は決してどのような状態でも存在しないが、人間の「精神的な交わり」においては、他の人間の魂と交わりを、しかも直接的な触れ合いを求める根源的な精神的欲望が働いている。このような人間の魂の要求は、「わたし」と「あなた」との完全な「融合」を求める。そこでは、精神的に「強い者」が、自分の力を十分に使って、「弱い者」を驚かせ、自分への愛を強要し、自分に対する恐れを造りだそうとするのである。

    ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
    村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、267頁f。

    人間はひとりでは生きていけません。誰かに愛されたり、誰かを愛したりしながら生きて行きます。そうして健康な人間として生きることができます。
    そのためには、健康な人間関係を築かなければなりません。不健康な人間関係は、孤独よりもやっかいなものだと思います。

    健康な人間関係は、お互いの「融合」によっては生まれません。お互いの融合は不健康な人間関係です。融合を求めるところでは、愛の教養と恐れが生まれます。相手を自分の意のままに操り、支配し、自分の都合の良いように利用しようとするところには、健康な人間関係は生まれないのです。しかし残念ながら罪人である人間は、不敬虔さにおいてはもちろんですが、敬虔さにおいてもそのような関係を築こうとしてしまいます。このような不健康な人間関係は、長続きしません。遅かれ早かれ破壊されます。人間関係が破壊されないならば、人間のほうが破壊されてしまいます。

    健康な人間関係は、霊的な交わりの中に生まれます。霊的な交わりとはイエスさまによって結びつけられる交わりです。イエスさまが中心にいてくださり、お互いに兄弟として奉仕し合う明るい愛であるアガペーが生きています。

    (祈り)
    神さま、あなたを中心とした交わりの中に生かしてください。