静まりの時
- テーマ:主を喜ぶ
- 聖書箇所:イザヤ66・10~14
- 日付:2026年07月23日(木)
10 エルサレムとともに喜べ。
すべて彼女を愛する者よ、彼女とともに楽しめ。
すべて彼女のために悲しむ者よ、
彼女とともに喜び喜べ。
11 あなたが彼女の慰めの乳房から飲んで満ち足り、
その豊かな乳房から吸って喜びを得るために。
12 主はこう言われる。
「見よ。わたしは川のように繁栄を彼女に与え、
あふれる流れのように国々の栄光を与える。
あなたがたは乳を飲み、
脇に抱かれ、膝の上でかわいがられる。
13 母に慰められる者のように、
わたしはあなたがたを慰める。
エルサレムであなたがたは慰められる。
14 あなたがたがこれを見るとき、その心は喜び、
骨は若草のように生き返る。
主の手はそのしもべたちに知られる。
その憤りは敵たちに。」
エルサレムは、愛される者です。エルサレムのために悲しむ者は、エルサレムとともに喜びます。エルサレムは、恵みを与え、いのちを与えます。母に慰められる者のように、エルサレムにおいて主にある者は慰めを受けます。エルサレムで慰められる姿は、主にある者たちに喜びを与えます。
ヘブル語聖書を、旧約聖書(新しい契約に対する旧い契約の書)と呼んで信仰の正典とするキリスト教会では、聖書に登場する擬人化されたエルサレムは、キリスト教会のこととして読みます。
キリスト教会は、愛するされるものです。主にある者は、ときに教会を憂え、またときに教会とともに喜びます。教会は主にある者に恵みを与え、いのちを与えます。母なる教会は、信仰者を慰めます。また教会において信仰者が慰められる姿は、すべてのキリスト者に喜びを与えます。
「母に慰められる者のように」。「慰め」、は、新約聖書の書かれたギリシャ語では、「側ら(かたわら)に居る」(パラカレオー)、ということばです。これは、聖霊、をあらわすことばとしても使われます。聖霊降臨によって教会が生まれました(使徒2章)。まさに教会は聖霊に満ちるところであり、すべての人を慰める場所です。
教会が、たんに便宜的に集められた組織ではなく、キリストのからだとして愛されるものである、ということが確かにされるとき、教会は慰めを与えるところしての力を発揮するようにも思います。