神に反抗するゆえに悲嘆に沈む心

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〔わが魂はあなたを慕いあえぐ〕

2014年5月20日(火)

「わが神よ、わが魂は悲しみ嘆く。それゆえわたしは、ヨルダンの地から、ヘルモンとミザルの山から、あなたを思い起こす。」(詩篇42:6)

どうして、繰り返し悲しみ嘆かなければならないのか。なぐさめられた後で、どうしてすぐにも悲しみが起こるのか。それは人間の心が、決してなぐさめられようとはせず、悲嘆より悲嘆に沈んでいくものであり、神によらなければ自分の心をしっかりと保つことができないからである。・・・
教会と信徒の交わりから遠く離れたところでは、神を慕い求める私の渇望は満たされることがない。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、250頁f。

イエスさまを信じて新しく生き始めると、すべてのことがバラ色となり、何の悩みも苦しみも悲しみもなくなるのか、といえばそうではありません。また苦しみや試練が襲ってきてもそれによって悲嘆にくれないで生きることができるのか、といえば、そうでもありません。
人間は、交わりから、神さまとの交わりの中にある兄弟姉妹との交わりから遠く離れたところでは、神さまを慕い求める私の中にある飢え渇きは満たされないのです。
ですから、信仰をいただいて歩み始めた私たちは、どうしても教会の交わり、兄弟姉妹との交わりの中に生きることを求めるのです。

(祈り)
神さま、兄弟姉妹との交わりの中に生かせてください。

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