静まりの時 第二コリント5・1~5〔神の栄光の都〕
日付:2024年06月17日(月)
「たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。」(1)
「幕屋」「建物」「住まい」という言葉が表しているのは、「からだ」のことだと思います。今地上に生きている私たちは、この肉体に生きています。肉体から離れて、しかも生きている、ということはありません。生きている、ということは、すなわち、この肉体に生きていることです。
しかしたとえば、肉体の一部が失われる、ということが起こります。それでも依然私であることに変わりはありません。そうすると、肉体というもの、イコール、私、ということも少し違う感じがします。では心が私なのか、精神が私なのか、はたまた魂が私であるのか。心と精神と魂はいったいどのような違いがあるのか。重なる部分があるのか。簡単には答えられません。
聖書は、これらを明確に区分することにあまり興味がないようで、ざっくりと内なる人、外なる人、という言い方していることがありますが、それもそれほど明確に分類することが目的でないようです。
肉体は、死によって滅んでしまいます。では私たちはどうなるのか。消滅してしまうのか。死は人類にとって未経験ですので、だれも分かりません。死を経験するというのは、その経験ののちにその経験を語ることができる、ということですから、復活しなければなりません。イエスさまを除いてだれも復活した者はいないのですから、人類にとっては死は依然未経験なのです。ですから死ののちにどのようになるのかは誰も分からないのです。分からないのですから、信じるしかありません。人は、死んだらどうなるのかを、それぞれなりに信じて生きているのです。もし死後は存在しない、という人がいるならば、それも経験されたことではないのですから、そう信じていることなのです。
私たちは、死後が存在しないとは信じていません。主にある者はすべて永遠のいのちに生きる者とされましたから、死んで終わりではありません。永遠の住まいがあり、それを約束していただいています。人の手によるものではなく神さまが備えていてくださる永遠の住まいがあるのです。
「私たちはこの幕屋にあってうめき、天から与えられる住まいを着たいと切望しています。」(2)
しかし今こうして生きているのは、やはり肉体に生きていますので、「うめき」がある、天から与えらえる住まいを着たいと切望しています。肉体の限界、痛み、不具合、それは肉体的なことかもしれないし、また精神的なことかもしれません。そのうめきのない人は一人もいないのだと思います。
「その幕屋を脱いだとしても、私たちは裸の状態でいることはありません。確かにこの幕屋のうちにいる間、私たちは重荷を負ってうめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいからではありません。死ぬはずのものが、いのちによって呑み込まれるために、天からの住まいを上に着たいからです。」(3,4)
うめきがあるので早く脱ぎたい、と願うのかというと、パウロは少し違うように語っています。脱ぎたいのではなく、「死ぬはずのものが、いのちによって呑み込まれることを求めている、そのために天からの住まいを着たい、そこで着るのは、脱いで着るのではなく、その上に着るのだ、といいます。
いま生かされているこの肉体を「脱ぐ」のではなく、その上にいのちを「着る」。今の肉体はどうでもよい、というのではなく、その下地があって、それをいのちが呑み込んでしまう、滅んでしまうしかなかった肉体が、このいのちに呑み込まれることによって「さま変わり」する。肉体は大切なものとなったのです。
「そうなるのにふさわしく私たちを整えてくださったのは、神です。神はその保証として御霊を下さいました。」(5)
今生きている肉体も、イエスさまを信じた時から、すでに新しいいのちに呑まれようとしています。完全に呑み込まれるためには、天の御国に行くことですが、すでに呑み込まれ始めています。それはキリスト者の新しい生き方である、というのだと思います。その保障として、神さまは聖霊を遣わしてくださいました。私たちは聖霊によって、この信仰的な事実を信じています。
肉体と精神を分離して、肉体を穢れたものとするのは、キリスト教的な考え方ではありません。私たちは、新しいのちに呑みこまれたこの肉体に生かされているのですから、大切にこの肉体に生きていきます。肉体はすでにかつての肉体ではなくなっているのです。主と一つとされた肉体とされています(第一コリント6章)。
今日は一年に一度の生活習慣病検診の日で、近くの病院に行ってきます。からだを大切にしましょう。
1 たとえ私たちの地上の住まいである幕屋が壊れても、私たちには天に、神が下さる建物、人の手によらない永遠の住まいがあることを、私たちは知っています。
2 私たちはこの幕屋にあってうめき、天から与えられる住まいを着たいと切望しています。
3 その幕屋を脱いだとしても、私たちは裸の状態でいることはありません。
4 確かにこの幕屋のうちにいる間、私たちは重荷を負ってうめいています。それは、この幕屋を脱ぎたいからではありません。死ぬはずのものが、いのちによって呑み込まれるために、天からの住まいを上に着たいからです。
5 そうなるのにふさわしく私たちを整えてくださったのは、神です。神はその保証として御霊を下さいました。