私の心は主にあって大いに喜び、私の角は主によって高く上がります

静まりの時 第一サムエル2・1~10〔この世の権威と神の主権〕
日付:2024年06月11日(火)

「ハンナは祈った。」(1)

 子どものいない悲しみの中にあったハンナ。神さまはハンナの願いに応えられ男の子を授けてくださいました。男の子はサムエルと名付けられました。ハンナは主に感謝し祈ります。
 この祈りにおける「願い」は、かろうじて10節の後半に見られるだけで、そのほかは、すべて神さまはどのようなお方であるのかを歌ったような祈りでした。「主は」で始まる言葉が続いています。

「私の心は主にあって大いに喜び、私の角は主によって高く上がります。私の口は敵に向かって大きく開きます。私があなたの救いを喜ぶからです。」(1)

 ハンナは、主に救われたことを喜びます。この救いとはいったいなんであるのか。男の子が与えられたということは、このときのハンナにとって確かに救いだったと思います。しかしハンナがこの祈りにおいて感謝している救いとはいったいなんであったのか。それは「主のように聖なる方はいません」(2)という祈りの言葉に現れているように思います。自分の願いが実現したという喜びというよりも、神さまがまことに「聖なる方である」ということが明らかにされた、という喜びなのだと思います。「マリアの賛歌」にも共通するような祈りであり、賛美です。ある人は、マリアの賛歌を革命の歌であるといいました。そのような祈りです。

「勇士が弓を砕かれ、弱い者が力を帯びます。
 満ち足りていた者がパンのために雇われ、飢えていた者に、飢えることがなくなります。
 不妊の女が七人の子を産み、子だくさんの女が、打ちしおれてしまいます。
 主は殺し、また生かします。
 よみに下し、また引き上げます。
 主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高くします。
 主は、弱い者をちりから起こし、貧しい者をあくたから引き上げ、
 高貴な者とともに座らせ、彼らに栄光の座を継がせます。」(4~8)

 「聖」という言葉は、清い、という言葉ですが、人間の手あかがついていない、ということを現しているのだと思います。地獄の沙汰も金次第、などという言葉があります。霊的なことにも、人間の行為やあり方が影響するとの考え方だと思います。それに対して聖書の神さまは人間の行為やあり方によって左右されるお方ではなく、まったき主権をお持ちのお方なのです。
 ハンナは、自分の祈りが聞かれたことを喜んでいる、というよりも、圧倒的な神さまの主権を喜び感謝しているのです。裁判に例えるとすると、裁判官が自分に有利な判決を下してくださったことを喜んでいるのではなく、自分の願いを超えたまことに公平な判決に喜んでいる、といった感じです。

「まことに、地の柱は主のもの。その上に主は世界を据えられました。」(8)

 この神さまの主権に対する信頼と感謝は、創造の御業において確認されます。神さまが唯一のお方であり、義と愛のお方であるのは、創造の御業において確かにされるのです。創造神でない神は、唯一性や義、愛において完全ではありえません。

 この神さまの圧倒的な聖さに出会うことは、人間にまことの謙遜を与えます。あるいはまことの謙遜に生きるためには、この圧倒的に聖い神さまにお出会いしなければなりません。

「おごり高ぶって、多くのことを語ってはなりません。横柄なことばを口にしてはなりません。」(3)

 隣人に対して「横柄なことば」を口にしてはならない。そして神さまに対しても「横柄なことば」を口にしてはならない。
 何が「横柄なことば」なのか。どのような言葉が「横柄なことば」となるのか。

「まことに主は、すべてを知る神。そのみわざは測り知れません。」(3)

 神さまがすべてを知っているお方である。神さまのなさることを人間は測り知ることができない。それは自分は知らない者である。あるいは知っていてもそれは一部分でしかない。神さまがなさることを、人間は正確に知ることができない。不可能である。その信仰的な事実が、私たちに謙遜を生み、横柄なことばを控えさせるのです。
 神さまとの出会いは、私たちに健やかな謙遜の道を与えます。

 横柄なことばとは、自分がなんでも知っている、とすることでしょう。先週の日曜日は第一テモテ6章からのおことばが語られました。「間違って『知識』と呼ばれている反対論を避けなさい。知識でもないものが間違って知識と呼ばれてしまっている。そんな偽物の知識を避けよというのです。真実の知識を得なさい、ということでしょう。真実の知識とは「委ねられたものを守りなさい」とありますので、その「委ねられたもの」こそ、真実の知識なのです。自分で編み出したもの、思い付きのもの、ではなく、先輩のキリスト者から、あるいは教会が語り伝えてきた大切なもの、その代々委ねられてきたものを守ること。自分の悟りに頼るのではなく、神さまご自身に委ねていく。そのような謙遜に生きることこそ、ほんとうの知識に生きることであり、私たちに健やかな人生を約束するものなのです。

1 ハンナは祈った。
 「私の心は主にあって大いに喜び、
 私の角は主によって高く上がります。
 私の口は敵に向かって大きく開きます。
 私があなたの救いを喜ぶからです。
2 主のように聖なる方はいません。
 まことに、あなたのほかにはだれもいないのです。
 私たちの神のような岩はありません。
3 おごり高ぶって、
 多くのことを語ってはなりません。
 横柄なことばを口にしてはなりません。
 まことに主は、すべてを知る神。
 そのみわざは測り知れません。
4 勇士が弓を砕かれ、
 弱い者が力を帯びます。
5 満ち足りていた者がパンのために雇われ、
 飢えていた者に、飢えることがなくなります。
 不妊の女が七人の子を産み、
 子だくさんの女が、打ちしおれてしまいます。
6 主は殺し、また生かします。
 よみに下し、また引き上げます。
7 主は貧しくし、また富ませ、
 低くし、また高くします。
8 主は、弱い者をちりから起こし、
 貧しい者をあくたから引き上げ、
 高貴な者とともに座らせ、
 彼らに栄光の座を継がせます。
 まことに、地の柱は主のもの。
 その上に主は世界を据えられました。
9 主は敬虔な者たちの足を守られます。
 しかし、悪者どもは、闇の中に滅び失せます。
 人は、自分の能力によっては勝てないからです。
10 主は、はむかう者を打ち砕き、
 その者に天から雷鳴を響かせられます。
 主は地の果ての果てまでさばかれます。
 主が、ご自分の王に力を与え、
 主に油注がれた者の角を
 高く上げてくださいますように。」


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