静まりの時 第一歴代誌29・10~20〔この世の権威と神の主権〕
日付:2024年06月10日(月)
「ダビデは全会衆の前で主をほめたたえた。(10)
協会訳では、表題に「ダビデの祈り」とあります。ダビデは何を祈るのか。この前の段落につけられている表題には「神殿建設のための寄贈」と書かれています。イスラエルの王ダビデは、神さまのために神殿を建てたいと願いましたが、神さまがそれはダビデのすることではない、ダビデの息子ソロモンがなすことであるといわれました。ダビデはその言葉に従いました。それでダビデは、神殿を建てるための資金集めをしたのです。
ダビデは集まったものを神さまに献げました。その時の祈りがここに記されています。
「ダビデは言った。『私たちの父イスラエルの神、主よ。あなたがとこしえからとこしえまで、ほめたたえられますように。主よ、偉大さ、力、輝き、栄光、威厳は、あなたのものです。天にあるものも地にあるものもすべて。主よ、王国もあなたのものです。あなたは、すべてのものの上に、かしらとしてあがめられるべき方です。富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものを支配しておられます。あなたの御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてのものが偉大にされ、力づけられるのです。」(10~12)
ダビデの祈りは、まず自分が祈ろうとしている神さまとはいったいどのようなお方であるのかを祈ります。
つづいて
「私たちの神よ。今、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます。」(13)
そのような偉大な神さまの前に立つダビデ。ダビデが真っ先にしなければならないことは、その神さまへの感謝、賛美である、と祈ります。
「このように自ら進んで献げる力を持っているとしても、私は何者なのでしょう、私の民は何者なのでしょう。すべてはあなたから出たのであり、私たちは御手から出たものをあなたに献げたにすぎません。私たちは、父祖たちがみなそうであったように、あなたの前では寄留者であり、居留している者です。地上での私たちの日々は影のようなもので、望みもありません。」(14,15)
祈るダビデの視点は、自らに向かいます。ようやく自らに向かうのです。自分がいったいどのような存在であるのかを告白します。単なる謙遜を語っているのではありません。まことの神さまの御前に出た人間は、それが偶像ではなく、まことの神さまであるならば、自らの足りなさ、小ささを知るはずです。御前に祈ることさえ、どれだけ僭越なこと、出過ぎたことであるのかを知ります。
「私たちの神、主よ。あなたの聖なる御名のために宮を建てようと私たちが準備したこの多くのものすべては、あなたの御手から出たものであり、すべてはあなたのものです。」(16)
いよいよ具体的な祈りが始まります。ダビデは、いま献げた献げ物が、実は自分たちが自らの力によって得たものではなく、神さまの御手から出たものである、と祈ります。そしてすべては神さまのものだからである、と祈ります。単なる謙遜でこう祈っているのではありません。ダビデは心底、これらが神さまのものである、と告白しています。
「わが神よ。あなたは心を試される方で、真っ直ぐなことを愛されるのを私はよく知っています。私は直ぐな心で、これらすべてを自ら進んで献げました。また今、ここにいるあなたの民が、自ら進んであなたに献げるのを、私は喜びのうちに見ました。」(17)
さらに、この献げ物が、強いられてではなく、自らが進んで献げたものである、と告白されます。それが、献げる者のこころである。そうでなければ、それは献げ物とならない、と告白するのだと思います。
強制的に献げる、ということは、すでに献げるということではない。そう聖書は語るのだと思います。強制力は、外からも働きますが内側からも働きます。自由と喜びをもって献げる心を大切にしたいと思います。そのためには献金の匿名性は重要です。献金の匿名性が失われた途端、何らかの形で強制力が働いてしまいます。
「私たちの父祖アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。御民が心にめぐらす思いをとこしえに守り、彼らの心をしっかりとあなたに向けさせてください。」(18)
ここで、あらためて民の心を、神さまにしっかりと向けさせてほしい、と祈ります。心が神さまに向かう、ということが、神さまの御業、奇跡であることをダビデは知っています。神さまに守っていただかなければ、人間の心は神さまに向かうことがありません。
「わが子ソロモンに全き心を与え、あなたの命令とさとしと掟を守らせて、すべてを行わせ、私が準備してきた宮を建てさせてください。』」(19)
ようやく、祈りの焦点が祈られました。息子ソロモンに神殿を建てさせてほしいと祈ったのです。
ソロモンが神殿を建てることは、神さまご自身の約束でした(17章、28章)。ですからわざわざ祈らなくても、神さまがソロモンに神殿を建てさせてくださることは、決定済みのことだと言えます。しかしここでダビデは、もしソロモンの心が、全き心でなくなったならば、神さまは、ソロモンに神殿を建てさせることをなさらない、と思ったのだと思います。たとえ神さまのお約束であったとしても、神さまは人間の心をご覧になる。全き心のない中での神殿建設は無意味であるばかりでなく、わざわいであると知っていたのだと思います。
神さまの命令とさとしと掟を守ること。その全き心をもってことにあたる。そうでなければ神殿建設は不可能である。たとえ建物が建ったとしても、神の神殿を建設したことにならない。聖書の神の名が冠されているとしても、それは偶像の宮と変わることがないのだ、と。結局、神殿建設とは、建物の建設のことではなく、それを建てる者の信仰を建てることなのです。
「そして、ダビデは全会衆に『あなたがたの神、主をほめたたえよ』と言った。すると全会衆は、父祖の神、主をほめたたえ、主と王の前に身をかがめてひれ伏した。」(20)
ダビデは、民の代表として神さまに祈りました。また神さまのとりなし手として民に語ります。仲保者のような立場です。
神さまは、ご自身の御旨を人間にお伝えなさるのに、王、祭司、預言者、新約聖書においては、使徒、教師、長老、執事をお立てになりました。もちろん神さまは直接的に民に語ることもおできになるのです。しかしそうはなさらず、仲保者のような存在をお立てになったのです。
神さまがなさることですから、そこにはさまざまな意味や目的があると思います。その一つに謙遜を育てることがあるのではないかと思います。神に従うといいつつ、結局は自分の願望のままに生きてしまうのが罪びとである人間の現実です。神さまを愛するといいつつ、結局は自己中心にしか生きていないのです。そのような人間の罪が御子イエスさまを十字架につけました。その神さまの死によって、私たちは自己中心から解放され、永遠のいのちに生きる者とされる道が開かれました。イエスさまを、心の王座にお迎えする。今までは自分が座っていたその心の王座にイエスさまにお座りいただき、これからはそのイエスさまを主、主人として生きていく。それが神さまを信じるということであり、そのような人生にこそ真の幸福があることを知らされたのです。
イエスさまこそ私の主です、との告白に生きている。そのことは、具体的な信仰生活において、神さまがお立てになった「権威」に従うかどうかにおいて明らかにされるのだと思います。
この権威は、もちろん曲者(くせもの)です。権威の位置にある者に、間違いがあれば、それに従う者もことごとく間違ってしまいます。自分の権力欲に振り回されてしまうようであれば、民全体も、困ったことになります。歴史を見れば、そのような権威の存在によってしばしば集団は困難に陥りました。
ですからこの権威自身も「他の権威の下」にいなればなりません。権威の下にいる者だけが、健やかに集団に対して仲保者となる権威を持つことが可能となるのです。例えば、教会であれば、そこに派遣される牧師は、ある意味で権威的な存在であると思いますが、必ず、牧師仲間、あるいは教会を越えた組織体の中にある者でなければなりません。具体的には団体から派遣された教師でなければ、牧師であってはいけないのです。
ダビデの素晴らしいところは、この徹底して神さまというまことの権威の中に自らを置き続けようとしたことだと思います。ダビデはとんでもない罪を犯しました。その家庭には問題がありました。多くの殺人も犯しました。しかしダビデは、とにかく神さまを畏れ(ときには「恐れ」)ている人だったのです。だからこそイスラエルの民も、このダビデの権威のもとにひざまずいたのだと思います。
10 ダビデは全会衆の前で主をほめたたえた。ダビデは言った。「私たちの父イスラエルの神、主よ。あなたがとこしえからとこしえまで、ほめたたえられますように。
11 主よ、偉大さ、力、輝き、栄光、威厳は、あなたのものです。天にあるものも地にあるものもすべて。主よ、王国もあなたのものです。あなたは、すべてのものの上に、かしらとしてあがめられるべき方です。
12 富と誉れは御前から出ます。あなたはすべてのものを支配しておられます。あなたの御手には勢いと力があり、あなたの御手によって、すべてのものが偉大にされ、力づけられるのです。
13 私たちの神よ。今、私たちはあなたに感謝し、あなたの栄えに満ちた御名をほめたたえます。
14 このように自ら進んで献げる力を持っているとしても、私は何者なのでしょう、私の民は何者なのでしょう。すべてはあなたから出たのであり、私たちは御手から出たものをあなたに献げたにすぎません。
15 私たちは、父祖たちがみなそうであったように、あなたの前では寄留者であり、居留している者です。地上での私たちの日々は影のようなもので、望みもありません。
16 私たちの神、主よ。あなたの聖なる御名のために宮を建てようと私たちが準備したこの多くのものすべては、あなたの御手から出たものであり、すべてはあなたのものです。
17 わが神よ。あなたは心を試される方で、真っ直ぐなことを愛されるのを私はよく知っています。私は直ぐな心で、これらすべてを自ら進んで献げました。また今、ここにいるあなたの民が、自ら進んであなたに献げるのを、私は喜びのうちに見ました。
18 私たちの父祖アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。御民が心にめぐらす思いをとこしえに守り、彼らの心をしっかりとあなたに向けさせてください。
19 わが子ソロモンに全き心を与え、あなたの命令とさとしと掟を守らせて、すべてを行わせ、私が準備してきた宮を建てさせてください。」
20 そして、ダビデは全会衆に「あなたがたの神、主をほめたたえよ」と言った。すると全会衆は、父祖の神、主をほめたたえ、主と王の前に身をかがめてひれ伏した。