その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます

静まりの時 ヨハネ16・7~15
日付:2024年05月24日(金)

 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。
(8~11)

「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。」(8)

 聖霊が来られると、世の誤りを明らかになさいます。この世にはいろいろと誤りがあるのです。人間にはその誤りを正すことができません。聖霊なる神さまが来て下さって、その誤りを明らかにしてくださいます。イエスさまは三つの誤りが世にあると言われました。
 まず、罪について、私たちは、間違って理解しているのです。罪と聞くとそれぞれなりにイメージを持っていますが、そもそもこの罪について誤って理解しているのが私たちの問題である、と主は言われました。どのように間違っているのか。

「罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。」(9)

 イエスさまを信じないから、罪について間違って理解してしまう、と主は言われます。イエスさまを信じないということは、イエスさまの受肉、十字架、復活を信じないということです。神ご自身がいのちを捨てなければ解決しないほどの深い罪、しかし同時に、神さまはそうまでして私たちを救いたいと思われました。その私たちへの神さまの愛。十字架と復活において明らかにされた神さまの愛を信じないから、罪について間違った理解をしてしまう。

 次に、義について。

「義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。」(10)

 義とは、正しいという意味です。倫理道徳の正しさもさることながら何よりも神さまとの関係の正しさ。いま私たちは神さまとどのような関係にあるのか。神さまと正しい関係をいただいているだろうか。それは主の昇天において明らかにされた、主が昇天され、いま父なる神さまの右にいてすべてを統べ治めていてくださる。そのことが正しく理解されないと、義について誤解してしまうのです。
 主にある者はみなすでに義とされたのです。義とされたのは、私たちの行いによるのではない、すでにイエスさまが天に君臨していてくださる。私たちは罪びとなのだけれども、この勝利の主によって義とされているのです。

 三つめは、さばきについて、です。

「さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。」(11)

 さばきについての間違った理解をしている。どのように間違っているのか。ここに「この世を支配する者がさばかれた」と主は語られました。さばかれる、ではなく、さばかれた、と訳されていますが、原文では完了形になっています。すでにさばかれたとイエスさまは言われたのです。別の訳では「断罪される」と訳されていますが、すでにさばきはなされたという意味なのです。
 だれがさばかれたのか。「この世を支配する者」がさばかれた。戦いはすでに終わっているのです。もちろんいまだ罪と闘わなければならない部分は残っています。しかしすでに勝敗は決まっているのです。戦々恐々とした日々は過去のものとなりました。
 すでに神さまのさばきはなされている、完了している、そこが誤解されている。それが私たちの問題である、というのです。

 聖霊は、この三つの点、罪について、義について、さばきについて、を人間に分からせてくださいます。信仰生活の喜びは、この三つの点の誤りが明らかにされることによって築かれていきます。私たちは礼拝説教を通して、この三つのことについての誤りを正していただきます。


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