よりすぐれた賜物 はるかにまさる道

静まりの時 第一コリント12・19~31
日付:2024年05月09日(木)

19 もし全体がただ一つの部分だとしたら、からだはどこにあるのでしょうか。
20 しかし実際、部分は多くあり、からだは一つなのです。
21 目が手に向かって「あなたはいらない」と言うことはできないし、頭が足に向かって「あなたがたはいらない」と言うこともできません。
22 それどころか、からだの中でほかより弱く見える部分が、かえってなくてはならないのです。
23 また私たちは、からだの中で見栄えがほかより劣っていると思う部分を、見栄えをよくするものでおおいます。こうして、見苦しい部分はもっと良い格好になりますが、
24 格好の良い部分はその必要がありません。神は、劣ったところには、見栄えをよくするものを与えて、からだを組み合わせられました。
25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いのために、同じように配慮し合うためです。
26 一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
27 あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。
28 神は教会の中に、第一に使徒たち、第二に預言者たち、第三に教師たち、そして力あるわざ、そして癒やしの賜物、援助、管理、種々の異言を備えてくださいました。
29 皆が使徒でしょうか。皆が預言者でしょうか。皆が教師でしょうか。すべてが力あるわざでしょうか。
30 皆が癒やしの賜物を持っているでしょうか。皆が異言を語るでしょうか。皆がその解き明かしをするでしょうか。
31 あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。
私は今、はるかにまさる道を示しましょう。
(19-21)

 違いがある、ということが否定的なことではなく、違いがあるからこそ、互いに愛し合うことができるのだ、と語っているようです。同じならば、愛を働かせる必要がないのです。弱い部分があるからこそ、助けようとしたり、配慮をしたりすることができるのです。

 「神は教会の中に、第一に使徒たち、第二に預言者たち、第三に教師たち・・・」。この第一、第二、第三、という言葉は、優劣における序列ではなく、秩序における序列でしょう。人間の価値は、神さまの前には同じなのです。しかし私たちの神さまは、秩序をお持ちです。教会も神さまの秩序を映しています。
 秩序を大切にすることが、さまざまな違いを持つお互いが、教会においてひとつのからだとして信仰生活を安心して送ることができます。

「目が手に向かって『あなたはいらない』と言うことはできないし、頭が足に向かって『あなたがたはいらない』と言うこともできません。」(21)

 これは「・・・言ってはいけません」というのではなく、「言うことはできません」というのです。教会が教会であるならば、そして私が、キリスト者であるならば、「・・・言うことができない」のです。なぜなら、自分もさまざまな違いを持つ者なのですから。

「あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。私は今、はるかにまさる道を示しましょう。」(31)

 さまざまな賜物があるかもしれない。しかしキリスト者であれば、「よりすぐれた賜物」を熱心に求めるべきです。よりすぐれた賜物とは何か。それは続く13章において明らかにされます。それは愛です。


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