永続するものは、なおのこと栄光に包まれている

静まりの時 第二コリント3・4~11
日付:2024年03月16日(土)

「石の上に刻まれた文字による、死に仕える務めさえ栄光を帯びたものであり、イスラエルの子らはモーセの顔にあった消え去る栄光のために、モーセの顔を見つめることができないほどでした。そうであれば、御霊に仕える務めは、もっと栄光を帯びたものとならないでしょうか。罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めは、なおいっそう栄光に満ちあふれます。実にこの点において、かつては栄光を受けたものが、それよりさらにすぐれた栄光のゆえに、栄光のないものになっているのです。消え去るべきものが栄光の中にあったのなら、永続するものは、なおのこと栄光に包まれているはずです。」
(7-11)

 イスラエルをエジプトから脱出するために用いられた偉大な指導者モーセ。モーセの為したこと、その働き、人生は栄光に輝くものであった。何よりも、十戒が与えられた、律法が与えられた、それによって、イスラエルは神の民としてふさわしい道を歩み始めることになった。この地上にあって義の民として歩むことが出来るようになった。そのような律法を神さまから預かってくれたモーセは栄光に輝いている。
 しかしその律法も、結局は人間を罪に定めるだけであった。人間の罪はどうしようもなく深い。神さまを畏れ律法に忠実に生きれば良いものを、それを他をさばくために、また自分をさいなむために用いてしまった。人間は律法によっては義に生きることができない。
 そこで神さまは、ご自身が人間を義にするとお決めになり、御子イエスさまをこの地に遣わしてくださった。イエスさまは十字架の死にまで神さまに忠実に歩まれた。義に生きてくださった。そのイエスさまを父なる神さまは復活させられた。ここに義が完成した。私たちは、このイエスさまにあって、イエスさまを信じる信仰によって義とされた。
 義は人間が自ら形作ったものではなく、神さまがその一方的な愛によって与えて下さったものである。私たちはその恵みを何の功績もなくただ頂くだけでよい。ただ頂くことが大切なのだ。どこまでも自分の功績ではなく、一方的な神さまの愛に生かされている。それが義とされた私である。
 そのような義を宣べ伝える務めは、何と栄光に輝いたものであろうか。この務めは、御霊に仕える務めであり、永続するものである。永遠に結びついた務めなのだ。
 かつてモーセの顔は見つめることが出来ないほどに栄光に輝いた。いまこの新しい務めにつかせていただいた私たちは、それ以上に栄光に輝いているのだ。
 パウロはそんな風にコリントの人たちに、そして主にあるすべての者に向かって語りました。

 かつて地域の中学から中学生にお話をしてほしいと招いてくださったことがありました。進路を決める中学生に、広く職業を紹介するプログラムだったのだと思います。牧師や教会の働きについて一通りの説明をした後の質問コーナーで、一人の生徒から牧師のやりがいについての質問がありました。とっさにどのように答えたのか今となっては記憶にないのですが、お金持ちになるわけでもない、有名になるわけでもない、人びとから称賛されるわけでもない、いったいどんなやりがいがあるのか、それは中学生にとっては不思議な事だったのだと思います。おおよそ大志を抱いて進路選択をするべき中学生にとっては、選ぶことの難しい職業だったと思います。
 御霊に仕える栄光、永続するものに奉仕する栄光。それはいわゆるこの世の価値観のみではかろうとしても難しいものなのだと思います。
 しかし、あるいはだからこそ、パウロは力強く語ります。

「義とする務めは、なおいっそう栄光に満ちあふれます」、「永続するものは、なおのこと栄光に包まれているはずです」。

 この栄光が見えなくなりかけていた。それがコリント教会にさまざまな問題を生み出していた。おおよそこの栄光が見えないと、教会がこの世にいろいろとある集団、グループ、組織とあまり変わらないものとなる。問題が起こって当然のことです。
 キリスト者の人生も、伝道者の働きも、この「義とする務め」「永続するもの」の栄光が見えなくなって来ると、問題とならないものまでも問題となって来る。

 この世にあって理解されるかどうかはともかく、イエスさまを宣べ伝え、イエスさまによって義とされることの喜び、神さまの愛が注がれているお互いである。生きていていいのだ。神さまがOKして下さっている。この地にあって、そのように語ることが、私たちにはできるのです。確信をもってできるのです。何と栄光に輝いた務めでしょう。

 教会のみならず広くキリスト教界においてご奉仕され、数年前に私たちの団体の聖会でもご奉仕下さった牧師が闘病の中で召天されたとの知らせをいただきました。おそらく私と同い年ぐらいの先生だったと思います。大変残念です。ご家族の上に主からの慰めが豊かにあるようにと祈ります。「義とする務め」。「永続するもの」に仕え続けられた先生の、この地上の価値観でははかることのできない栄光に輝いたお働きを、主に感謝したいと思います。


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