静まりの時 エペソ4・1~7〔キリストの体なる教会〕
日付:2024年06月03日(月)
「さて、主にある囚人の私はあなたがたに勧めます」。
パウロはこの時、文字通り獄中に囚われの身であったと言われます。ローマの権力のもとに自由を制限されていたのです。しかしその自らの身を「主にある囚人」と語りました。現実的には人間の都合で囚われていたのです。しかしその背後に主がおられることを信じていました。主がすべての支配者であることを信じていたのです。私たちも様々な制約の中に生きなければならないことがあります。しかし主にある者は、その背後に主がおられることを信じています。
「あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい」。
召されたその召しとはいったいなんであるのか。召しとは、主に呼び出された、ということです。主は目的をもって呼び出してくださいました。主が呼び出してくださったその目的にふさわしく歩むこと。ではふさわしく歩むとはいったいどのように歩むことなのか。
「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい」。
謙遜、柔和、寛容、愛、忍耐、平和。それが召しにふさわしく歩むことです。そうして御霊の一致を熱心に保つこと。御霊によって生きる、ということは、一致に生きるということです。御霊に生きると言いながら分裂を生み出すとすれば、それは御霊に生きていることではありません。召しにふさわしく生きる、ということは、この御霊の一致を熱心に保つことなのです。
主が私たちを召してくださった、呼び出してくださったその目的は、御霊の一致を熱心に保つことである。たとえば奉仕に呼び出されたというと、その奉仕自体が目的であって、一致するということは、効率的にその目的を実現するための手段のように考えます。それに対して、ここでパウロが語っているのは、一致すること自体が目的であるということです。
どんなに立派な活動がなされても、交わりが破壊されてしまったならば、それは召しにふさわしく生きていないということです。逆に、いまいちの活動であっても、そこに麗しい交わりが実現しているならば、召しにふさわしく生きている、ということになります。
一致とはいったいなんであるのか。教会における一致とは何か。
「あなたがたが召された、その召しの望みが一つであったのと同じように、からだは一つ、御霊は一つです。主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父である神はただひとりです」。
ここに一つなるものが数え上げられています。召しの望み・希望、からだ、御霊、主、信仰、バプテスマ(洗礼)、そして父なる神。おそらくこれらが分割されてしまうとき、キリスト者は、召しに生きることが難しくなっているのだと思います。
「しかし、私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました」。
キリストの賜物の量り。イエスさまは、その手に賜物を量る量りを持っておられる。私たちは、その量りに従って、それぞれに賜物が与えられている。つまり賜物とは、イエスさまの一方的なご意志、ご判断によって人間それぞれに与えられるものであって、そこには違いがあるが、それは人間の側の何かによるものではない。賜物が違うからといって人間の価値に違いがあるのではない。私たちは、それぞれに与えられている賜物の違いによって、高慢になったりがっかりしたりするが、それはこの世の価値基準によることであって、教会に一歩足を踏み入れるならば、そんな必要は全くない、ということです。何にもできなくても胸を張っていることができる。さまざまな賜物が与えられているからといって偉そうにすると悲劇を通り過ぎて喜劇となっていることに驚愕することができる(笑)。そんな自由なところ。それが教会なのです。
ざっと思いめぐらせてきましたが、なお今日心に留まったことは、「召しにふさわしく歩みなさい」という言葉でした。
召しにふさわしく歩む、ということを、今までは、それぞれに賜物が与えられ、召された目的があり、周りがどうであれ、自分の召しに従って生きていればよい、と読んでいたふしがあります。かなり独善的な読み方であったと反省しました。召しにふさわしい、ということは、一致する道に生きることであり、一致するためには、謙遜と柔和の限りを尽くすこと、寛容を示すこと、愛をもって忍耐すること、平和のきずなで結ばれること、そうして御霊による一致を熱心に保つことでした。独善性とは真逆の生き方のことだったのですね。時には自らの自由も制限することのできるまことの自由に生きることなのだと思いました。
昨日は信徒の全体での話し合いがあり、多数の参加を期待して礼拝後と午後との二部構成で準備がなされました。いつもながら、ほんで何話し合ったらいいんや、という感じのところもあったのですが、皆さん、愛深いお方で適宜斟酌してくださり、大変実り多い良い話し合いとなりました。ありがとうございました。またお疲れさまでした。
1 さて、主にある囚人の私はあなたがたに勧めます。あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。
2 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、
3 平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。
4 あなたがたが召された、その召しの望みが一つであったのと同じように、からだは一つ、御霊は一つです。
5 主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つです。
6 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父である神はただひとりです。
7 しかし、私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みを与えられました。