これで私は、はっきり分かりました

静まりの時 使徒10・34~48
日付:2024年05月30日(木)

「そこで、ペテロは口を開いてこう言った。『これで私は、はっきり分かりました。・・・」(34)

 今朝の個所は、異邦人コルネリウスと出会ったペテロが説教を語るところです。救いの門はすべての人に開かれている。イエスさまを信じるならば、国や経験によらずすべての人が救われるのだ、と語りました。
 その説教の冒頭の言葉、語り出しの言葉が「これで私は、はっきり分かりました」でした。今まではあんまりわかっていなかった、しかし今はっきりと分かるようになった、理解できるようになった、という驚きが、説教の冒頭の言葉でした。
 説教者が驚いている、そして心を新しくしている。その驚きや回心、それが説教者自身にある、それが説教を語る者の欠かすことのできない条件、そなえなのだと思います。
 逆に驚きのない説教は、いわゆる自分自身の主張を語るだけなので、結局「お説教」になってしまいます。
 説教者は自分自身がまず神さまに取り扱われ、回心し、悔い改めさせられる。そのような神さまとの新しい出会い、み言葉を通して与えられる驚きをいただくように、招かれています。
 これは礼拝説教もそうですが、教会学校、個人のデボーション、どこであっても大切なことなのです。自分の主張を裏付け、強化するために聖書を利用することになっているとすれば、それはみ言葉に生かされているとは言えないのです。

「ペテロがなおもこれらのことを話し続けていると、みことばを聞いていたすべての人々に、聖霊が下った。」(44)

 説教が語られている最中、そのみ言葉を聞いていたすべての人びとに、聖霊が降りました。45節に「聖霊の賜物が注がれた」と訳されている言葉は、榊原康夫先生の説教集によると「聖霊という賜物が注がれた」という意味とのこと。その一つの表れとして、異邦人が異言を語り、神さまを賛美する、ということが起こりました。ペテロと一緒に来た割礼を受けている信者、すなわちユダヤ人がそれを見て驚きました。
 なぜ驚いたのか。聖霊の賜物というのは、個人的なものではなく、教会を建て上げられるために与えられるものでした。それは割礼を受けたユダヤ人だけに与えられるものであるとの理解が彼らにはあったのだと思います。ここで異邦人にも聖霊が注がれたということは、これからは異邦人も教会の一つの柱として、自分たちと一緒に教会を築いていく仲間となるということでしょう。異邦人とともに教会を形成してくようにと神さまに招かれていることの驚き。それはまた自分たちも旧来の考え方を変えていかなければならない、ペテロが説教の冒頭で語り始めた、これではっきりと分かった、という驚きをここでともにいたユダヤ人たちも共有することになったのだと思います。
 それが「ペテロがなおもこれらのことを話し続けていると」起こったのです。ペテロの説教と聞いていたすべての人に起こったのです。
 説教を聞く、ということは、音楽会で音楽を聴くようなものです。講演会ならば、そこで語られるお話を理解することによって、何らかのことが聴衆に起こるのですが、音楽会では、音楽が奏でられている最中にも、その一瞬一瞬を味わうことによって、聴く者に感動が起こります。それと同じように、説教は語られているその最中に聖霊が降るのです。

34 そこで、ペテロは口を開いてこう言った。「これで私は、はっきり分かりました。神はえこひいきをする方ではなく、
35 どこの国の人であっても、神を恐れ、正義を行う人は、神に受け入れられます。
36 神は、イスラエルの子らにみことばを送り、イエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えられました。このイエス・キリストはすべての人の主です。
37 あなたがたは、ヨハネが宣べ伝えたバプテスマの後、ガリラヤから始まって、ユダヤ全土に起こった事柄をご存じです。
38 それは、ナザレのイエスのことです。神はこのイエスに聖霊と力によって油を注がれました。イエスは巡り歩いて良いわざを行い、悪魔に虐げられている人たちをみな癒やされました。それは神がイエスとともにおられたからです。
39 私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムで行われた、すべてのことの証人です。人々はこのイエスを木にかけて殺しましたが、
40 神はこの方を三日目によみがえらせ、現れさせてくださいました。
41 民全体にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちに現れたのです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられた後、一緒に食べたり飲んだりしました。
42 そしてイエスは、ご自分が、生きている者と死んだ者のさばき主として神が定めた方であることを、人々に宣べ伝え、証しするように、私たちに命じられました。
43 預言者たちもみなイエスについて、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられると、証ししています。」
44 ペテロがなおもこれらのことを話し続けていると、みことばを聞いていたすべての人々に、聖霊が下った。
45 割礼を受けている信者で、ペテロと一緒に来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたことに驚いた。
46 彼らが異言を語り、神を賛美するのを聞いたからである。するとペテロは言った。
47 「この人たちが水でバプテスマを受けるのを、だれが妨げることができるでしょうか。私たちと同じように聖霊を受けたのですから。」
48 ペテロはコルネリウスたちに命じて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けさせた。それから、彼らはペテロに願って、何日か滞在してもらった。


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