ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい

静まりの時 ピリピ1・27~30
日付:2024年04月29日(月)

27 ただキリストの福音にふさわしく生活しなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、あなたがたについて、こう聞くことができるでしょう。あなたがたは霊を一つにして堅く立ち、福音の信仰のために心を一つにしてともに戦っていて、
28 どんなことがあっても、反対者たちに脅かされることはない、と。そのことは、彼らにとっては滅びのしるし、あなたがたにとっては救いのしるしです。それは神によることです。
29 あなたがたがキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことでもあるのです。
30 かつて私について見て、今また私について聞いているのと同じ苦闘を、あなたがたは経験しているのです。

 「キリストの福音にふさわしい生活」とはいったいどのような生活なのか。「ただ」そのような生活をせよ、というのですから、何がなくてもこれだけは外せない、という生活。「キリストの福音」とは、十字架と復活において明らかにされた神さまの愛を信じる生活。その愛にひたすら生かされている生活のことです。それにふさわしい生活とは、具体的にどのような生活なのか。
 「あなたがたは霊を一つにして堅く立ち、福音の信仰のために心を一つにしてともに戦っていて、どんなことがあっても、反対者たちに脅かされることはない」「そのことは、彼らにとっては滅びのしるし、あなたがたにとっては救いのしるし」「あなたがたがキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことでもある」「かつて私について見て、今また私について聞いているのと同じ苦闘を、あなたがたは経験している」。
 ここに語られている「キリストの福音にふさわしい生活」とは、一口に言えば「戦いの生活」です。
 キリストの福音にふさわしい生活というと、戦いのない平穏な生活を期待したいものです。しかしパウロは、その逆を語ります。戦いの生活こそ、キリストの福音にふさわしい生活なのだ、と。
 戦いにはさまざまな戦いが想像されます。「反対者たち」という言葉もありますから、教会に敵対する人や勢力を想像します。
 しかし戦いとは何よりも自分自身との戦いでしょう。自分自身との戦いでしっかりと勝利をしているならば、反対者たちに脅かされることはないのです。反対者たちに脅かされるのは、自分自身に勝利てきていないからです。あるいはしっかりと自分自身との戦いを戦い抜いていないからです。

 「キリストの福音にふさわしく生活しなさい」。この「生活しなさい」という単語は、原文のギリシャ語で「ポリテウオマイ」。ポリス(都市国家、都市、町)という言葉がありますが、それの派生的な単語です。ポリスは、当時の独特な都市の形です。パウロが、自分は生まれながらのローマの市民である(使徒22・28)と語った言葉にある「市民」もこのポリスという言葉の派生語です。ピリピ書には、私たちの国籍は天にある(ピリピ3・20)という言葉がありますが、この「国籍」という言葉もポリスという言葉の派生語です。いろいろと想像が走りますが、単純に「暮らす」という意味で使われていると解釈すべきかもしれません。
 この世に生きている私たちですが、同時に天国の市民権をいただいています。
 海外旅行に出かけると、パスポートは大切です。最近はICチップが埋め込まれていて、空港での審査も、顔認証とデジタル認識が行われます。外国人ということで、並ぶ列が違います。同じ外国人でもその国籍によって微妙に違いがあります。日本のパスポートを見て、それまで他のアジアの国と同じように並んでいたのですが、お前はこっちだ、と別のところに振り分けられたりもしました。
 天国市民としてこの世に生きているのですから、私たちはどこか外国人なのです。天国市民しか経験することのない戦いがあります。キリストの福音にふさわしく生活しようとすればするほど、その戦いは顕著になります。
 ピリピ書には、「喜び」という言葉がたくさん出てきます。天国市民がキリストの福音にふさわしく戦っている姿は、喜びに満ち溢れたものです。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: