• いつも心を一つにして祈っていた

    静まりの時

    • テーマ:よみがえりの主に出会う
    • 聖書箇所:使徒1・12~26
    • 日付:2026年05月15日(金)

    12 そこで、使徒たちはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日に歩くことが許される道のりのところにあった。
    13 彼らは町に入ると、泊まっている屋上の部屋に上がった。この人たちは、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。
    14 彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。

    「父の約束」(4)、すなわち聖霊のバプテスマが授けられるときを待ちなさい、と言われた主の言葉に従って弟子たちはオリーブ山からエルサレムに帰りました。オリーブ山で天使から主の再臨が語られたのですが、再臨が必ずしもオリーブ山であると特定する必要はないと思います。使徒たちは再臨を、誰の目にも明らかなことと記しています。地球の裏側にいても再臨は認知され主にある者は携挙されるのです。

    彼らは「泊っている屋上の部屋」に上がり、皆で祈りました。「わたしの証人となる」(8)の言葉を受けて彼らが最初にしたことが、祈り、でした。「いつも心を一つにして祈っていた」ということですから、単に祈り会を開いたというよりも、事あるごとに祈っていた、あるいは常に祈っていた、ということです。

    15 そのころ、百二十人ほどの人々が一つになって集まっていたが、ペテロがこれらの兄弟たちの中に立って、こう言った。
    16 「兄弟たち。イエスを捕らえた者たちを手引きしたユダについては、聖霊がダビデの口を通して前もって語った聖書のことばが、成就しなければなりませんでした。
    17 ユダは私たちの仲間として数えられていて、その務めを割り当てられていました。
    18 (このユダは、不義の報酬で地所を手に入れたが、真っ逆さまに落ちて、からだが真っ二つに裂け、はらわたがすべて飛び出してしまった。
    19 このことは、エルサレムの全住民に知れ渡り、その地所は彼らの国のことばでアケルダマ、すなわち『血の地所』と呼ばれるようになっていた。)
    20 詩篇にはこう書いてあります。
    『彼の宿営が荒れ果て、
    そこから住む者が絶えますように。』
    また、
    『彼の務めは、ほかの人が取るように。』

    ペテロは、イスカリオテのユダの出来事は、聖書の言葉が実現した、成就したことである、神さまがそのみこころの中でなされたことなのだ、と確認しました。そしてこれから行おうとしている補欠選挙も神さまのみこころである、旧約聖書の成就であると確認します。

    過去の出来事が、自分たちにとってどのようなものであったとしても、神さまのみこころの中にあったことなのだ、と受け入れること。それが前進するための力を生みます。後悔も大切ですが、そこにとどまっているだけでは、何も生み出しません。またやみくもに前進するのではありません。聖書の言葉にしたがって、進んで行きます。

    この祈りの中で彼らが導かれたことは、非常に不思議なことでした。離脱したイスカリオテのユダのポストを埋めようとします。誰でもよいわけではありません。「私たちと行動をともにした人たち」、すなわちキリスト生き証人でなければなりません。

    「主イエスが私たちと一緒に生活しておられた間、すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間」行動をともにした人たち。福音書を読むと、その数はさまざまに記されていますが、ここで二人の人がノミネートされました。

    つづいてこの二人のうちどちらか一人を決めるのにくじを引きました。そうして一人のひと「マッテヤ」が選ばれました。

    ふさわしい人が二人いたのですから、二人とも使徒にすればよいようなものですが、彼らは一人に絞りました。すなわち、12、という数字にこだわったのです。

    すでに集まっていた数が120人であったと記されています。この数は、この使徒の補充において大切な数字です。12×10(完全数)。12はイスラエル12部族を想像させます。

    彼らは、120人が集まったところで、12という数字にこだわって、使徒職の補欠選挙を行いました。ここに明確に、自分たちが旧約聖書に語られたイスラエル、新しいイスラエルであることが語られています。キリスト教会は、新しいイスラエルなのです。この福音はやがて異邦人にも宣べ伝えられます。キリスト教会は、イエスさまが言われたように、地の果てまで、キリストの証人となりました。彼らにとって「聖書」と呼ばれていたものは、まもなく「旧約聖書」と呼ばれるようになります。そして新しい契約、新約聖書の時代がやってきました。いま私たちは、旧約聖書をひな形としつつ、新約聖書に記されたイエスさまをまことの神、救い主として礼拝します。