静まりの時
- テーマ:キリストに生きる
- 聖書箇所:ヨハネ14・1~6
- 日付:2026年04月20日(月)
2 わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。
以前の訳では
2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。(新改訳第3版)
この以前の訳では、父の家には住まいがたくさんあるのだけれども、もし万が一なかったならば、そのためにわたしは場所を備えに行く、という意味になります。
それに対して、新改訳2017では、イエスさまは普段から、あなたがたのために場所を備えに行く、と言っておられたのですが、その理由は、父の家には住むところがたくさんあるからである、ということになります。
第3版の訳では、父の家には住まいがたくさんあるということにややそうでないことを感じさせるきらいがあります。新しい訳では、その可能性はみじんもなく、父の家にはとにかく住まいがたくさんあるのだ、ということが確かにされているように思います。イエスさまが場所を備えに行く、というのは、場所がないからではなく、確かなものにするという感じがします。イエスさまは十字架と復活の御業によって、まさに天の御国を確かなものにしてくださいました。
天国とはどのようなところだろうかとしばしば想像します。嘆きも涙もない、ということですが、新聖歌471番では、それが美しく歌われています。「麗しき都」「争いも煩いも、明日の憂いもなし」「御冠りと真白き衣をつけ主をほむる民あり」。また新聖歌150番には「天つ家に比べ難」い救いの様子が歌われています。
たくさんあるという父の家の住まいですが、たくさんとは、量を語っているとともに私たちの想像を超えた豊かさが語られているように思います。