生まれたばかりの乳飲み子のように

静まりの時

  • テーマ:復活の信仰
  • 聖書箇所:第一ペテロ2・1~5
  • 日付:2026年04月13日(月)

1 ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、
2 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。

他の訳では

1 だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、
2 生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。(新共同訳)

1 だから、一切の悪意、一切の偽り、偽善、妬み、一切の悪口を捨て去って、
2 生まれたばかりの乳飲み子のように、理に適った、混じりけのない乳を慕い求めなさい。これによって成長し、救われるようになるためです。(共同訳2018)

「霊の乳」は、共同訳2018では「理に適った」と訳されています。原文の「ロギコス」という単語は「霊的な」と訳される言葉ではありますが、もともと、ロゴスに一致した、という意味を持っていて、「理性的な」と訳される言葉だからです。霊的な、というと、何やら非現実的なものを想像しますが、聖書の語る「霊的」という言葉の意味は、むしろ理性的なという意味に近いようです。

ここで、霊の乳、とは、み言葉のことだと推測されます。み言葉を求めるのに、その求め方が語られています。「すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて」み言葉を求める。「生まれたばかりの乳飲み子のように」求める。霊の乳自体が混じりけのないものである筈ですが、ここではわざわざ「純粋な」すなわち、混じりけのないみ言葉を求める。

これは、私たち罪びとは、悪意や偽り、偽善やねたみ、悪口をもってみ言葉を求めてしまう。生まれたばかりの乳飲み子のように求めることをしない。すなわち素直に求めることをしない。またみ言葉にいろいろな混ざりものを加えて求めてしまう。そういう弱さを持っているということだと思います。

もしこのような求め方をしているならば、信仰の成長、救いの完成は期待できない、と厳しくペテロは語りました。私たちの信仰の成長は、み言葉の求め方にかかっているのです。

しかし私たちは完璧なものではありませんので、どうしてもこのような求め方をしてしまう部分を持っていると思います。その自分の弱さを忘れないで、み言葉を慕い求めることが大切ではないか、と思います。み言葉を求める、ということにおいて、謙遜、が問われているのだと思います。


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