すると見よ、イエスが「おはよう」と言って彼女たちの前に現れた

静まりの時

  • テーマ:復活の福音
  • 聖書箇所:マタイ28・1~10
  • 日付:2026年04月11日(土)

8 彼女たちは恐ろしくはあったが大いに喜んで、急いで墓から立ち去り、弟子たちに知らせようと走って行った。
9 すると見よ、イエスが「おはよう」と言って彼女たちの前に現れた。彼女たちは近寄ってその足を抱き、イエスを拝した。

「あなたがたより先にガリラヤに行かれます。そこでお会いできます」と御使いから聞いたマリアたちは、その言葉に従って「急いで墓から立ち去り、弟子たちに知らせようと走って行」きました。すると、そのときイエスさまが「おはよう」と言って彼女たちの前に現れてくださいました。恐ろしくはあったけれども大いに喜んで、御使いの言葉に従う彼女たちに、イエスさまは出会ってくださったのです。

マリアたちの心には、恐ろしさ、と、大いなる喜びがありました。本来共存するはずのない二つの感情がともにありました。神さまに出会う、ということは、このような感情を人間に生み出すのだと思います。単なる恐れではもちろんない、しかし喜びだけではない。恐れを内包した喜び、確かな喜びに裏打ちされている恐れ。それがいたずらな恐怖とは全く異質な「畏れ」なのだと思います。私たちはみなこの「畏れ」を持っています。

御使いは「ガリラヤ」でイエスさまに出会うことができると伝えました。その言葉に従って歩み始めたマリアたちは、すぐさまイエスさまに出会いました。将来において出会うはずです。しかしその希望をもって出発したマリアたちは、その時、主との出会いの中に置かれた、というのです。出会いの希望を持つということは、すでに出会いが始まっていることです。将来と現在は一つになります。

いま私たちは、やがてのときにイエスさまと顔と顔を合わせてお出会いすることを信じています。再臨を信じています。将来にそのような出会いがあることを信じているので、今日もイエスさまが私たちに「おはよう」といって出会ってくださることも、信じています。

イエスさまに出会うと、マリアたちは、近寄り、その足を抱き、礼拝しました。礼拝とは足もとに近づきひざまずくことです。イエスさまとの出会いは、人間にこのような行動を生み出します。マリアたちが抱いた「キリストの足」には十字架にはりつけられた時の傷があります。イエスさまの傷をまじかに見ながら礼拝をささげました。

キリストの傷をまじかに見、それを抱きながら主の前にひざまずく。主の御傷を、その傷ついたお身体をいだき、主を礼拝する。確かに復活されたお方がともにいてくださると、その喜びを確かにします。十字架と復活が一つになって、私たちの喜びが確かにされます。


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