静まりの時
- テーマ:主の苦難
- 聖書箇所:イザヤ52・13~53・12
- 日付:2026年04月04日(土)
10 しかし、彼を砕いて病を負わせることは
主のみこころであった。
彼が自分のいのちを
代償のささげ物とするなら、
末長く子孫を見ることができ、
主のみこころは彼によって成し遂げられる。
この「彼」とは主イエス・キリストのことです。
「砕いて病を負わせること」とは、十字架の苦しみ、十字架上での死、を指しています。
そのことは、「主のみここであった」と聖書は語ります。
主が十字架にかかられたことを、私たちは「神に罰せられ、打たれ、苦しめられた」(4)と思いました。しかし十字架は「私たちの背きのため」「私たちの咎のため」でした。
主の十字架は、神さまが罰し、打ち、苦しめたのではなく、私たちの罪によって受けられたのです。しかしそのこと自体が、主のみこころであった、と聖書は語ります。
この十字架が「私たちに平安をもたらし」ました。主の「打ち傷のゆえに、私たちは癒やされ」ました。十字架の主を仰ぎ見るとき、私たちはまことの平安を得、私たちのすべての傷は癒されます。
彦根の教会に立ち寄った帰りに犬上川沿いの道を通ってみました。桜がよく咲いていました。