静まりの時
- テーマ:いのちの約束
- 聖書箇所:ヨブ42・10~16
- 日付:2026年03月25日(水)
10 ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元どおりにされた。さらに主はヨブの財産をすべて、二倍にされた。
ヨブが経験することになった試練とはいったい何であったのか。
財産を失い、家族を失い、自らも病の苦しみの中に置かれたことは、試練でした。また親しい友がやって来て慰めようとしてくれるのですが、その言葉がヨブには届かない。慰めるどころか裁かれているような気になる。それも試練だったと思います。
しかし最大の試練は、そのような中にあって、神さまがお出会いくださらない。神さまがどこかに行ってしまわれた。神さまが沈黙しておられる。それがヨブにとって試練だったのだと思います。信仰がなかったのではありません。むしろ信仰深く歩んできたし、いまも歩んでいる。しかし神さまが見えない。信じたくないのではありません。むしろ信じたい。だからこそ試練であった。いわば信仰者だけが経験する試練です。
試練とは試し練られるということです。ヨブは何を試され、何を練られたのか。それはこのような中にあっても神を信じるか、神を神とするか、自らに都合のよい神を造りそれを礼拝することをせず、この神さまだけを拝むのか、という試練でした。それが試され練られたのです。
この試練を乗り越えたヨブは、あの友人たちのために祈りました。試練を乗り越えたからこそ祈れたのだと思います。試練を乗り越える、というのは、自らを裁く者のために祈る者となる、ということなのです。自らを苦しめた友のために、祈る者となる。それが試練を乗り越えた者の姿である、とヨブ記は語るのだと思います。
主はそのヨブを元どおりにされ、さらに財産を二倍にされました。ヨブは友のために祈れば、元どおりになり財産も二倍になる、と知っていたから祈ったのではありません。友への限りない赦しに生きるヨブに、主は一方的な愛をもって答えてくださったのです。