しかし、正しい人はその信仰によって生きる

静まりの時

  • テーマ:耐え忍ぶ
  • 聖書箇所:ハバクク1・12~2・4
  • 日付:2026年03月20日(金)

4 見よ。彼の心はうぬぼれていて直ぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。」

「見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」(新共同訳)
「見よ、高慢な者を。その心は正しくない。しかし、正しき人はその信仰によって生きる。」(共同訳2018)

「うぬぼれる」。漢字に変換すると「自惚れる」。自分に惚れる。他の訳では高慢な者と訳しています。原文の意味は、新改訳の欄外注にあるように、「ふくれあがる」。本来のサイズではなく、膨らし粉で膨らしている状態です。自分罪性が見えない。あるいは見えているのかもしれないけれども、見たくないのでごまかそうとしている。ごまかすために自分から目を離し、共に生きる人たちの罪や間違いをあげつらっている。不平、不満に生きている。

本来のサイズでない自分に生きている状態は、自分自身がしんどいものです。ありのままのサイズに生きたいものです。しかしどうしてうぬぼれたくなるのか。高慢にならざるを得ないのか。

罪びとは、高慢にならざるを得ない。罪びととは、高慢な者のことである。そう言ってもよいのかもしれません。神さまから離れていては、自分の寄る辺がないので、自分の力でカラ元気を出さなければならない。小さく弱いにもかかわらず、大きく強い者と見せなければならない。あるいはそう見られたくて躍起になってしまう。これはしんどい生き方です。

正しいとは、神さまとの関係の正しさですが、それは、自分自身をありのままに生きる健やかさを生み出します。そのようなありのままの自分に生きる、ということが、また正しい人ということができるのだと思います。神さまとの正しい関係。すなわち信仰があってはじめて人間は正しく生きることが可能となるのです。

それはまた隣人との関係を回復させます。ともに神さまに造られた者として、互いを感謝しながら生きる道が開かれるのです。それが正しいという意味だと思います。


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