静まりの時
- テーマ:耐え忍ぶ
- 聖書箇所:ヘブル12・1~11
- 日付:2026年03月17日(火)
11 すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。
すべての訓練。大きな訓練、小さな訓練も、もれなく、喜ばしいものではない。むしろ苦しく思う、悲しく思うものである。しかしどのような訓練もすべて、義という平安の実を結ばせる。そのためには、これによって鍛えられる必要がある。訓練によって萎えてしまうのではなく、鍛えられる。それが大切なことである。
筋肉は何歳になっても鍛えられるといわれることがあります。鍛えている間は、なかなかつらいものです。しかし必ず筋肉をつけることができる、力をつけることができる、というのです。
この力とは、ここでは「義という平安の実」です。平安の実は、義、なのです。正しいという意味です。正しさというものが、平安という実である。そう聖書は語ります。何の正しさであるのか。神さまとの関係の正しさ、もあると思いますし、倫理道徳的な正しさかもしれません。平安はそういう正しさに裏打ちされてあるものなのです。
とすると、信仰生活にはどうしても訓練が必要であることになります。