自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい

静まりの時

  • テーマ:十字架をとって
  • 聖書箇所:マルコ8・34~38
  • 日付:2026年03月09日(月)

34 それから、群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。
35 自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音のためにいのちを失う者は、それを救うのです。
36 人は、たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ったら、何の益があるでしょうか。
37 自分のいのちを買い戻すのに、人はいったい何を差し出せばよいのでしょうか。

全世界を手に入れたとしても、もし自分のいのちを失ってしまったなら、いったい何の益があるのか。自分のいのちを失ってしまったなら、たとえ全世界を手に入れたとしてもまったく益がない。自分のいのち以上に価値のあるものはない。主はそう語られました。いのちは、全世界よりも重たいもの、大切なものなのです。

では、それほどに大切ないのちを得るためにはどのようにすればよいのか。どのようにすることが、真実にいのちを得ることになるのか。

自分のいのちを救おうと思わないこと。そして、キリストとその福音のためにいのちを失うこと。それがいのちを救う道、いのちを得る道である、と主は言われました。

では、自分のいのちを救おうと思わない、自分のいのちを捨てる、とはいったいどういうことなのか。それはキリストに従っていくこと。そのために、自分の十字架を負うことである、と主は言われました。

わざわざ十字架を捜し求める必要はありません。すでに私たちには十字架が与えられています。心身の病かもしれません。家族への責任かもしれません。社会におけるさまざまな役割かもしれません。自分のいのちそのものかもしれません。その自分が負うべき十字架、自分しか負うことのできない十字架。それを負っていく。そうすれば、自分のいのちを得ることができる。自分のいのちを大切に生きることができる。主はそう言われるのです。

できれば避けたい十字架かもしれません。しかしそれを避けているときは、自分のいのちに生きることができない。自分のいのちを失ってしまうような人生になっている。しかし、信仰をいただいてその十字架を負っていこうとする。すると、いのちを得る人生となる。いのちが輝いていく。喜びと感謝が生まれる。

負わないで眺めているだけのときには、重たく見えた十字架かもしれませんが、勇気をもって十字架をとってみると、案外軽く感じるかもしません。

30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。(マタイ11・30)


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: