すべての理解を超えた神の平安

静まりの時

  • テーマ:喜び
  • 聖書箇所:ピリピ4・4~7
  • 日付:2026年02月02日(月)

4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
5 あなたがたの寛容な心が、すべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。
6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

いつも主にあって喜ぶこと、寛容な心に生き、それがすべての人に知られるようにすること、そして何も思い煩わない、どんなときにも感謝をもって祈る、願う、そうして私たちの願い事を神さまに知っていただく。そうすれば、

7 そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

すべての理解を超えた神の平安。いったいどんな平安なのだろう。新共同訳では「あらゆる人知を超える神の平安」、共同訳2018では「あらゆる人知を超えた神の平安」。

神さまが与えてくださる平安は、人知を超えている。私たちが理解することの出来るような平安ではない。もし理解できたとすれば、それを超えるものが神さまの与えてくださる平安であることをわきまえていなければならない。そういうことなのだと思います。

その平安が、私たちの「心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」。私たちを守ってくれるのはこの人知を超えた平安なのです。

私たちの何が守られるのか。私たちの「心と思い」が守られる。心と思いさえ守ら得るならば、自分の人生を立派に生きることができるのです。

何によって守られるのか。「キリスト・イエスにあって」。新共同訳では、キリスト・イエスによって。それは今生きて働いておられるキリスト。父なる神さまの右に座してとりなしていてくださるキリストが守ってくださる。そしてその守りは、十字架と復活においてなされた贖いの御業によって守られる。

キリストの十字架と復活は、私たちに人知を超えた平安を与えてくださいます。


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