静まりの時
- テーマ:復活の福音
- 聖書箇所:ヨハネ20・11~18
- 日付:2026年04月06日(月)
17 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないのです。わたしの兄弟たちのところに行って、『わたしは、わたしの父であり、あなたがたの父である方、わたしの神であり、あなたがたの神である方のもとに上る』と伝えなさい。」
18 マグダラのマリアは行って、弟子たちに「私は主を見ました」と言い、主が自分にこれらのことを話されたと伝えた。
復活の主は、自らを主であると発見したマグダラのマリアに大切なことを伝えられました。
一つは、このときの主にすがりついてはいけない、ということ。もう一つは、伝えなさい、ということ。マリアはその言葉の通りに従いました。
このときの主にすがりついてはいけない。後の主に私たちは大いにすがりつくのですが、このときの主にはすがりついてはいけない。なぜなら、まだ父のもとに上(昇)っていないからである。すなわち「昇天」が完了していない、だからすがりついてはいけない、と言われました。
贖いの御業はこの「昇天」によって完了する、ということです。私たちは、十字架だけではなく、復活によって救いをいただくのですが、その復活も、昇天、によって完了する。いいかえれば、私たちの救いの御業、贖いの御業は、主の降誕、生涯、受難、十字架、葬り、復活、そして昇天によってなされたのです。私たちはいわゆる十字架だけを信じるのではなく、この一連の主の御業を信じています。あるいは十字架のみを信じる、と言った場合、この一連の主の御業を信じることなのです。
私たちは使徒信条において「三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり」と告白します。復活の主は、いま全能の父なる神の右に座しておられます。そして私たちを日々執り成していてくださいます。そしてかの日に、まことのさばき主として再臨なさいます。その主にすがりついています。あるいはその主だからこそ、すがりつくことが可能となっているのです。安心してすがりつくことができるのです。なんと幸いなことでしょう。
この素晴らしい福音を伝えなさい、と主はマグダラのマリアに言われました。当時の社会において証言能力がないとされていた女性であるマグダラのマリア、多くの人がその過去を知っているこのマリアに、主は大切な福音を託されました。
このともあろうにこのマリアに託された、という言い方もできるかもしれません。しかし福音の性質を考えると、このマリア以外には考えられなかったのかもしれません。マリアよ、あなたにこの福音を託したい、あなた以外には考えられないのだ、引き受けてくれるか、と主は言われたのです。
マリアは、それがどんな結末に至るかを想像できたかどうかわかりません。ただマリアはその主の言葉に素直に従いました。いま全世界で主の復活、そして昇天を祝います。
今朝、「古楽の楽しみ」を聞いていたところ、ヘンデルのオラトリオ「復活」を放送していました。復活の主がここでも讃えられています。この楽曲でもマグダラ(マッダレーナ)のマリアさんは大切な役割があります。ケイト・ロイヤルさんという素晴らしいソプラノ歌手の歌声で聴かせて頂けます。天国のマグダラのマリアさんが聞いたらびっくりするだろうと想像しながら。