静まりの時
- テーマ:主の苦難
- 聖書箇所:マタイ27・45~56
- 日付:2026年04月03日(金)
50 しかし、イエスは再び大声で叫んで霊を渡された。
51 すると見よ、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。地が揺れ動き、岩が裂け、
52 墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる人々のからだが生き返った。
53 彼らはイエスの復活の後で、墓から出て来て聖なる都に入り、多くの人に現れた。
主は十字架の上で息を引き取られました。そのとき驚くべきことが起こったと聖書は記します。
- 神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
- 地が揺れ動き、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる人々のからだが生き返った。
十字架の出来事が記されるところに、復活が記されます。十字架と復活。この二つは切り離すことができません。神の子の死には、その絶対的な暗闇の向こうに、圧倒的な光が見えているのです。
神さまは聖所と至聖所を隔てていた幕を裂かれました。すべての人が神さまに近づくことができるようになりました。すべての人が神さまの前に集うことができるようになった、ということは、すべての人の間にあった壁も取り除かれたということです。
地は、じっとしていられず、死に渡されていた人たちを解放します。多くの聖なる人、すなわち神にある人たちのからだは生き返りました。彼らは「イエスの復活の後で、墓から出て来て聖なる都に入り、多くの人に現れた」というのですから、時間軸で考えると不思議な気持ちがします。主は十字架ののち葬られ陰府に降り三日ののちに復活されたのですが、その主と同じ道を彼らが歩んでいるようです。
この聖なる人たちは、いま生きておられないのですから、永遠に生きた、ということではないようです。ラザロと同じように生き返ったのであって、復活ではなかったのだと思います。しかし彼らの生き返りは、十字架の苦しみが復活につながることを力強く証ししています。
主にある者はすべて死が終わりではないことを知らされています。