堅く立って、動かされることなく

静まりの時

  • テーマ:いのちの約束
  • 聖書箇所:第一コリント15・50~58
  • 日付:2026年03月26日(木)

56 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
57 しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
58 ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。

死のとげは罪である。死の恐怖、苦しみ、痛みは、罪によるものである、と聖書は語ります。人間は罪びとなので、死が恐怖であり、苦しみであり、痛みなのだ、と語ります。もし罪が解決されるならば、死はもはやいたずらに恐れるものでも、苦しみでも、痛みでもなくなる、というのです。

このように考えることができるためには、ここで語られている死と罪について、その中身を正しく理解する必要があります。私たちは死と罪についてどのように考えてきたのか。どのように考えているのか。

罪と死を正しくとらえるということは、それらを神さまとの関係の中でとらえる、ということです。神さま抜きで死と罪を考えても、十分には分からない、あるいは間違って理解してしまいます。

神さまとの関係の中で考える、ということは、聖書によって、そしてキリストの十字架の死と復活によって考えるということです。私たちの罪は神がいのちを捨てなければ解決できないほど大きなものであったこと。それほどに罪に力があることは、律法によって知らされたこと。本来私たちが正しく生きるために与えられた律法がかえって、私たちに罪の力を教えるものになってしまったこと。私たちではどうしてもこの罪から解放されることができないこと。罪は神さまとの関係の断絶であること。私たちは罪を犯すから罪びとなのではなく、罪びとだから罪を犯してしまうこと。罪を持ったままでは滅びに向かうしかないこと。死は、滅びそのものであったこと。

しかし神さまはご自身のいのちを捨ててまでも、このような私たちを救いたいとお考えになられました。神さまですから単純に、罪を赦す、と言われるだけでよかったのですが、わざわざ私たちと同じ人間となり、この地を歩まれ、父なる神さまに従順に生き、そうして十字架につかれました。父なる神さまへの従順によって、罪を滅ぼし、そうして死を滅ぼされたのです。死を滅ぼすにあたり、自ら死ぬという道によって死を滅ぼす。驚くべき方法で死と罪を解決されました。父なる神さまはこのキリストを復活させられました。この十字架が神の御業であることを明らかにされました。復活は死に対する神さまの圧倒的な勝利です。

こうして勝利のキリストは、自らの勝利によって私たちに勝利を与えてくださいました。主の復活によって、私たちも復活の希望に生きる者と変えられたのです。死は終わりではない、復活を知っている。それがキリストを信じる者の新しい生き方です。

復活を知っているので、人生が無駄でないことを知っています。人生の労苦が無駄でないことを知っています。ですから、毎日をしっかりと立って、主の業に励むことができます。今日も堅く立って、動かされることなく、常に主の業に励みます。


投稿日

カテゴリー:

投稿者:

タグ: