主は私に耳を傾け

静まりの時

  • テーマ:耐え忍ぶ
  • 聖書箇所:詩篇40・1~17
  • 日付:2026年03月19日(木)

1 私は切に 主を待ち望んだ。
 主は私に耳を傾け
 助けを求める叫びを聞いてくださった。

他の訳では以下の通り

「主にのみ、わたしは望みをおいていた。主は耳を傾けて、叫びを聞いてくださった。」(新共同訳)
「私は耐えて主に望みを置いた。すると主は私に向かって身を乗り出し 私の叫びを聞いてくださった。」(共同訳2018)

この共同訳2018の「身を乗り出し」はすばらしい翻訳だと思います。主が私の語ることばに耳を傾けてくださるということは、生半可な聞き方ではなく、全身全霊をかけて激しく聞いてくださることなのです。

切に主を待ち望む。それは主にのみ望みを置くことであり、忍耐をもって希望に生きることです。

4 幸いなことよ 主に信頼を置き
 高ぶる者や偽りに傾く者たちの方を向かない人。

他の訳では

「いかに幸いなことか、主に信頼をおく人 ラハブを信ずる者にくみせず 欺きの教えに従わない人は。」(新共同訳)
「幸いな者 主を頼みとする人 ラハブにも、偽りの神に迷う者にも顔を向けない人。」(共同訳2018)

「高ぶる者」が「ラハブを信ずる者」「ラハブ」と訳されています。これは原文の単語を、発音で「ラハブ」と固有名詞として訳すか、それともこの単語は「高ぶる、高慢な」という意味を持っているということで、その意味を訳すかの違いのようです。聖書に登場する人物名は、それぞれに意味を持っているようですが、発音の通りに訳すか、意味を訳すかは、いろいろと意見の分かれるところかもしれません。

少し飛躍しますが、新約聖書に登場するサロメということばは、シャロームが語源のようで、平和という意味をもっています。意味に訳すと、泰子さんや安子さん、和子さんということになるかもしれません。ザアカイも、正しいという意味から来ているということで、義男さんとか良助さんになるでしょうか。

ラハブが、高慢という意味を持っているとすれば、ラハブという名の人物が幾箇所か登場しますが、
いろいろと考えさせられます。まずそんな名前をつけること自体想像しにくいことですが、それでもあえてつけたというところには深い意味があるのかもしれません。私たちはこの名前を持った遊女に大きな恩をいただいています(ヨシュア記2章、マタイ1章5節。

6 あなたはいけにえや穀物のささげ物を
 お喜びにはなりませんでした。
 あなたは私の耳を開いてくださいました。
 全焼のささげ物や罪のきよめのささげ物を
 あなたはお求めになりませんでした。

これも他の訳では以下の通りです。

「あなたはいけにえも、穀物の供え物も望まず 焼き尽くす供え物も 罪の代償の供え物も求めず ただ、わたしの耳を開いてくださいました。」(新共同訳)
「いけにえも供え物も、あなたは喜ばれず 私の耳を開いてくださった。焼き尽くすいけにえも清めのいけにえも あなたは求められなかった。(共同訳2018)

詩篇51編では、神さまはささげ物よりも、悔改めを求められると歌っていますが、それに対してここでは、神さまはささげ物よりも、耳を開いてくださる、という神さまの行為が歌われています。

私たちが耳を開き、神さまの言葉を聞くこと。神さまは何よりもそのことをお求めになっておられる。私たちの礼拝の在り方が問われているようなことばです。


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