静まりの時
- テーマ:十字架をとって
- 聖書箇所:第一コリント4章6~13
- 日付:2026年03月12日(木)
6 兄弟たち。私はあなたがたのために、私自身とアポロに当てはめて、以上のことを述べてきました。それは、私たちの例から、「書かれていることを越えない」ことをあなたがたが学ぶため、そして、一方にくみし、他方に反対して思い上がることのないようにするためです。
7 いったいだれが、あなたをほかの人よりもすぐれていると認めるのですか。あなたには、何か、人からもらわなかったものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。
「書かれていることを越えない」。
キリスト教信仰は、一書の宗教です。すなわち聖書を「正典」とする信仰です。正典とはいわゆる聖典とは区別される言葉ですが、意味は「カノン」、すなわち、ものさし、のことです。私たちは聖書が神のことばであり、人間に送られた神さまからのラブレターであることを信じています。生活のさまざまな基準にします。
聖書に反することをしないということを大切にしますが、聖書に反するといっても、あからさまに聖書と反対の意見を持つということはあまりないと思います。多くの場合、聖書を越えてしまうということが起こるのではないかと思います。つまり「書かれていることを越え」てしまうのです。
聖書に書かれていることに届かない、というのではなく、越えてしまう。それが罪びとの問題である。おそらく信仰生活において問題が起こるのは、この「書かれていることを越えてしまう」ことに起因しています。また教会生活も、教会においても、問題が起こるのは、書かれていることに届いていないというのではなく、書かれていることを越えてしまうことが原因となっているのです。
なぜ越えてしまうのか。それは傲慢、高慢がそこにあるからです。自分こそ賢いと誇る心があるからです。思い上がりがあるのです。人からもらったものである、ということがわきまえられていないのです。何か霊的な体験をした、多くの知識を得た、などなど、罪びとである私たちは、常に書かれたことを越えてしまう誘惑にさらされています。
イエスさまも実は書かれていることを越えないようにこの地を歩まれました。すべて旧約聖書に書かれている道を歩まれたのです。