しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます

静まりの時

  • テーマ:試みに勝つ
  • 聖書箇所:マルコ13・3~13
  • 日付:2026年03月04日(水)

5 それで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
6 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『私こそ、その者だ』と言って、多くの人を惑わします。
7 また、戦争や戦争のうわさを聞いても、うろたえてはいけません。そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません。
8 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで地震があり、飢饉も起こるからです。これらのことは産みの苦しみの始まりです。

世の終わりはいつくるのか、そのしるしはどのようなものか、と尋ねた弟子たちにイエスさまは答えてくださいました。人に惑わされないように気をつけよ、私こそキリストだという者が大勢現れ多くの人を惑わす、戦争や戦争うわさを聞く、あちらこちらで紛争が起こる、地震があり飢饉も起こる。しかしそういうことは必ず起こるのであって、終わりが来たのではない、と主は言われました。

「終りではない」。多くの宗教は、戦争や地震、あるいはそれに準ずるようなまさに世の終わりと思えるような事態が起こると、世の終わりが来た、と声高にいいます。しかしキリスト教会は、そのような中にあって、終わりではない、と語ります。危機を前にしてどのような言葉を発するのか。教会が教会であることの真価が明らかにされます。真の教会は、どのような事態にあっても、終わりではない、と語り続けます。

むしろ生みの苦しみのはじまりだ、と語ります。生みの苦しみには、その向こうに新生児誕生の喜びがあります。つまり喜びへの道が始まったのだ、と。希望を語るのです。

13 また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。

人から憎まれるということは受け入れ難いことです。誰かに憎まれていると感じるならば、生きていく力も失います。ひとりの人からであってもそのような暗い気持ちになるものです。それがここでは「すべての人に憎まれる」と主は言われました。まさに四面楚歌です。

自分の足りなさ、犯した過ちのために憎まれるということも多々ありますが、ここでは「わたしの名のために」すなわち、イエスさまを信じることが、人々からの憎しみをかうというのです。イエスさまを信じること。つまりそれなくしては生きていけないことにおいて憎まれてしまう。決して手放すことの出来ないもののために憎まれてしまう。そういう事態を迎える、というのです。

しかしそのような中にあって「最後まで耐え忍ぶ人は救われる」と主は言われました。反論したくなる。事情を説明したくなる。しかし黙って耐え忍ぶ。忍耐の道に生きる。そうするならば救われるのです。

主はそのような道を歩んでくださいました。そのような道を歩まれた主は十字架ののち復活されました。十字架の向こうには必ず復活があるのです。


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