月別アーカイブ: 2018年3月

めぐみのパンくず

目がありながら見えないのですか。耳がありながら聞こえないのですか。あなたがたは覚えていないのですか。”   マルコ8:18

◎イエスさまは二度、パンの奇跡を表わしなさいました。6章では「五つのパンと二匹の魚」で、8章では1~10「7つのパンと少しの魚で」、6章のパンの奇跡はユダヤ人を中心に、8章では異邦人(デカポリス地方には大勢の異邦人が)のために奇跡を表わされたことを見ます。イエスさまはすべての人々の命のパンなのです。

◎ダルマスク地方に来られた時、パリサイ人がやって来て天からのしるしを求めます。不信仰はしばしば見えるところのしるしを求めます。「ユダヤ人はしるしをこい」と使徒パウロは言いましたが、イエスさまは「絶対に与えられない」vs12と言われました。

◎そして弟子たちに、「パリサイ人、ヘロデのパン種に十分気をつけるように」と言われました。弟子たちはパン一つしかもっていなかったので、食料に心配でした。その時に言われたのです。

◎パリサイ人のパンだねとは偽善です。宗教家としての偽善ぶりをイエスさまはマタイの福音書6:1~8で糾弾し後には決して「まねるな」と命令なさいました。ヘロデのパンだねとはヘロデの饗宴に象徴されます。そこには、不品行、不敬虔(装う)、悪意(心が膨れるの意)があります。

◎イスラエルの民は過ぎ越しの祭りの間、種なしパンを食しました。信仰者の心はパリサイ人やヘロデのパン種でなく、いのちのパンであるイエスさまを食するのです。

めぐみのパンくず

そして、天を見上げ、深く嘆息して、その人に「エパタ。」すなわち、「開け」と言われた。

                マルコ 7:34

◎すると、彼の耳が開き、舌のもつれもすぐに解け、はっきりと話せるようになったVs35。とみ言葉はつづきます。聾唖者の耳が開き、もつれていた舌がまわり出したのです。音声言語獲得前に失聴したゆえの聞こえない、話せない。

この人は、ずいぶん苦労したことでしょう。

◎イエスさまの癒しは、神の前における人間の姿の回復を表わしています。神の声が聞こえない、神に向かって祈れないことの。

◎イエスさまはこの人の両耳に指を差し入れ、またつばきをして舌にさわられます。イエスさまに触れられることは何と幸いなことでしょう。そして「エパタ・開け」と言われました。

◎人間の事をギリシャ語でアントゥロ―ポスと言います。「上を見上げる者」の意味です。しかし、罪人には天は閉じたままです。イエスさまは天を開くためにこの地上に来てくださいました。バプテスマのヨハネから洗礼を受けられた時「天から聖霊が鳩のよう折りて来」また父なる神のみ声もありました。「これはわたしの愛する子」マタイ3:16,17と。

◎イエスさまは父なる神のその御声が聞こえなかった者に、心の耳を開き神の子どもの確信をさせ、祈ることもできなかった者の舌をまわるようにしてくださったのです。

「エパタ」天ひらかれ、み言葉が開かれ、祈りによる父なる神との交わりが開かれたのです。

めぐみのパンくず

主よ、そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。”

マルコ7:28

◎五つのパンが群衆に配られた後、12かごにいっぱいになったパンくず。そのパンくずの恵みがガリラヤを超えてツロ、フェニキヤまで届いた恵みの出来事です。

◎ギリシャ人の女の幼い娘が悪霊に取りつかれていたのです。イエスさまの噂を聞いてやってきました。母親の必死のとりなしが始まります。

◎マタイの並行記事では女の呼びかけにイエスさまは無視されているところから始まります。しかし女は引き下がらず、足元にひれ伏して懇願するのです。いや懇願し続けるのです。

◎しかし、イエスさまの返事は「こどもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くない」との突き放した応えでした。

◎しかし、女はイエスさまのことばに賢く冷静に返答します。「食卓の下の小犬でも・・パンくずをいただきます」と。ユダヤのラビたちは異邦人をしばしば横行する野良犬に表現しましたが、ここで言われている小犬は飼犬のことです。

◎この頃は、ナイフもフォークもナプキンもありませんでした。子どもたちは食べる前にパンで手を拭き、そのパンを食卓の下に落とします。それを小犬が食べたのです。

◎イエスさまは女の信仰を試され、その真実をご覧になられました。

 キリスト者の祈りは問題の中で、「小犬もパンくずをいただきます。」と迫る存在なのです。