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めぐみのパンくず

しかし、ヘロデはうわさを聞いて、「私が首をはねたあのヨハネが生き返ったのだ。」と言っていた。”       マルコ 6:16

◎ヨハネの殉教の記録です。イエスさまを人々はいろいろ噂していました。「エリャだ」「預言者の一人だ」また「バプテスマのヨハネ」の再来ゆえあのような力ある働きができるのだと。

◎首をはねたヘロデ王も「バプテスマのヨハネが生き返ったのだ」と言いました。事件は誕生日会の席で起こりました。ヘロデは腹違いの兄弟ヘロデ・ピリポの妻、ヘロデヤを自分の妻にしており良心の呵責がありつつヨハネの話は喜んで聞いていたのです。

◎舞台は変わり、祝宴の席で、ヘロデヤの娘の舞いに褒美を勧めたところ娘は「ヨハネの首」を所望します。優柔不断なヘロデは人々の顔を恐れて娘の願いに応えます。

◎恐ろしいのは護衛兵が、切り取られ盆にのせ持ってきたヨハネの首を母のヘロデヤに渡すのです。両目を覆いたくなるような光景です。

◎バプテスマのヨハネは労につながれた時、不安になりました。イエスさまのところに弟子を遣わし「来たるべき方はあなたでしょうか、それとも他の人を待つべきでしょうか」と尋ねさせます。

イエスさまはご自分の御業を語り(ルカ7:22,23)「誰でもわたしにつまずかない者は幸いです。」と答えられました。この後、ヨハネの心は預言者としてぐらつくことはなかったと思います。

◎ヘロデヤ、娘のサロメは何とおぞましい女性でしょう。人の心の恐ろしさを見せられる場面です。

めぐみのパンくず

また、彼らにこう命じられた。「旅のためには、杖一本のほかは、何も持っていてはいけません。パンも、袋も、胴巻きに金を持って行ってはいけません。”      マルコ6:8

◎ゲネサレの町の人や、カペナウム、ナザレの町の人々に信じる人々が少ないのを見て「村々に向かわれた主は、十二弟子を二人ずつ遣わされることになりました。

◎イエスさまは初めに「汚れた霊を追い出す権威」を与えられます。「イエスさまは遣わす者に簡単にこの権威を与えておられる。『奇跡中の奇跡、不思議中の不思議』とある注解者は記しています。

◎次に持ち物ですが「パンも袋も、金も」持って行くなと言われました。一つにこの派遣が小旅行であったこと、季節は過ごしやすい秋だったとからでしょう。

◎しかし、「杖一本は持って行け」と言われます。杖と言えば、まずモーセの杖を思います。頑なにイスラエル人を解放しなかったパロの前で、この杖は神さまの力がどんなものであるかを顕します。第二に詩篇23篇で羊飼いの杖です。迷える羊を守り、群れから離れないために羊飼いは杖を使いました。ダビデは自分を迷える羊に譬え「あなたの杖とあなたの鞭、それが私の慰めです。」と告白しています。杖は神さまの権威を表わしているのです。

◎この権威に押し出されての伝道は「悔い改め」「悪霊の追い出し」「病の癒し」の結果が現れました。私たちはイエスさまの与えて下さる権威にしばし、信仰の思いをはせたいものです。

めぐみのパンくず

イエスは彼らに言われた。「預言者が敬われないのは、自分の教理、親族、家族の間だけです。」”             マルコ6:4

◎イエスさまの郷里、ナザレでの出来事です。安息日に会堂で教えられました。そこで起こった出来事の中で二つの「驚き」に目を向けます。

◎まず、聞いた多くの人々が驚きです。「大工ではないか、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモン兄弟ではないか」、良く知っている男だと言うのです。 詳訳聖書には彼に憤慨し、不満を示しとあります。~わかっている、何をいまさら大工の子せがれが!と言ったところでしょうか。4節で「預言者は故郷では敬われず」と書かれています、イエスまでさえも、家族伝道(召天後、家族は信仰に入りますが)郷里伝道は難しいのかと思わされるところです。

◎イエスさまも驚かれました。何に驚かれたか「不信仰に」です。これは強い言葉で非常に驚くなのです。郷里の人々が「驚いた」と言う言葉とは違った原語が使われており、ここでは悲しみの意味で驚いておられるのですが。

◎もう一か所では大きな喜び、感動すら覚えて驚かれた箇所に使われています。ローマの百人隊長の信仰です。大切な僕が病気になった時、イエスさまに長老たちを遣わします。イエスさまは連れ立って百人隊長の家に行かれる途中、その姿を見つけた百人隊長は友を送って、自分にイエスさまを迎える資格がないこと告げ「ただ、おことばを下さい」ルカ7:7と僕の癒しのために願います。イエスさまのおことばの力を信じる信仰に驚かれるのです。

めぐみのパンくず

小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実で

あり、小さい事に不忠実な人は、大きな事にも

不忠実です。“     ルカ16:10

              :

◎忠実とは、キリスト者に日々求められていることだと思います。信仰生活にかかしてはならないことに。

◎しかし、このところでイエスさまは、富について話しておられます。その内容は不正な管理人が、自分の身を守るために、実に巧妙でずるい方法をとりましたが、主人はこの管理人をほめたのです。

◎イエスさまはこの世の人でも自分の身を守るためなら一生懸命だ。まして神の国の者たちは、この世の富を用いて神の国のために賢く振る舞わなければならないと言われました。「あなたがたに言うが、この世の富を用いてでも、自分のために友達をつくるが良い。」と。

◎聖書は金銭についてその使い方にしばしば勧告を与えています。 昔の聖徒、ジョン・ウエスレ―は「多くを稼げ、多くをたくわえよ、そして多くをささげよ」と。大切に管理させていただきたいと思います。