月別アーカイブ: 2017年5月

めぐみパンくず

不法の秘密はすでに働いています。しかし今は引き止める者があって、自分が取り除かれる時まで引き止めているのです。”

          Ⅱテサロニケ 2:7

◎キリスト者は「主の日」(来臨の日)を待ち望む者です。しかし、み言葉にそって正しく待ち望むことが大切です。使徒パウロは主が必ず来臨なさることを強調しながら、きよくキリスト者生活を送ることを指導しました。そしてもう一つ心しなければならないことは、間違った来臨に落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないようにと手紙に記したのです。Vs2

◎来臨の前に起こることがあるのです。背教があり、不法の人(不法の者・口)すなわち偽キリストが現れると言うのです。全世界を見事に統率するかの如くの人物が(この人のことにはいろいろな説があります。)、しかしです。今、不法の秘密の力は働いていますが、不法の人そのものは引き止められているのです。何が引き止めているのかは学者によって、法・国家・宣教などを上げている人がありますが、聖霊でしょう。

◎聖霊が働いておられる間は、不法の人はと止められています。しかし、聖霊が地上から引き上げてしまわれる時が来ます。信じたくても信じられない時代です。その時には不法の人の思うがままの支配となります。

◎この不法の人はサタンの働きによるものですが主が「御口の息」VS8をもって彼を殺されるのです。

◎私たちの思うところ超えた悪の力、それに勝る主の力を信じていたいものです。

めぐみのパンくず

それは、私たちの神であり主であるイエス・キリストの恵みによって、主イエスのみ名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。”

           Ⅰテサロニケ1:12

◎テサロニケ第一の手紙では、各章に渡ってイエスさまの来臨が示されていました。キリスト者は心から主の来臨を待ち望む者、そのための備えが必要であることを学びました。

◎テサロニケⅡでは主の来臨時、どのようなことが起こるかが記されています。1章では神の正しい裁きが記されています。キリストを信じるゆえに「苦しむ者」とそのキリスト者を「苦しめる者」との結果が明確にされるのです。

◎まず、信仰によって苦しんだ人々には、「神の裁きと報いが正しいこと」Vs5、Vs7が記されています。迫害と艱難とに耐え、従順と信仰を保ったテサロニケの教会員、そこには信仰の成長があり、互いに愛がありました。

◎その人たちにイエスさまが来臨される時、興味深いことにイエスさまが、キリスト者を喜ばれるよりも、イエスさまがキリスト者に喜ばれることが記されています。「感嘆の的となられる」VS10とありますが、キリスト者によって称賛を受けられるのです。ハレルヤ!の大絶賛に。

◎どうしてそうなりえたか。苦難の中でキリスト者はイエスさまを「心服し、信頼し、より頼んだ」(詳訳聖書)生活をしていたからです。

 信仰を拒否し福音を無視しイエスさまと永遠に離れる人々との違いは測りしれません。

◎イエスさまも、キリスト者を喜んで下さるのです。

めぐみのパンくず

主はその母親を見て、かわいそうに思い、

「泣かなくてもよい。」と言われた。”

  ルカの福音書7章13節

◎ルカだけが記している、ナインのやもめの話です。ナインとは「愛らしい、楽しい」いう意味の名のついた町です。やもめと一人息子のうるわしい関係が表現されているような町の名です。この町でやもめの一人息子がなくなりました。しかし、葬儀に列が続くその場に、イエスさまが来られたのです。

◎悲しみにあふれた葬儀の場で、イエスさまは尋常でない言葉を二つ、しかも命令形で語りなさいます。「泣かなくても良い」「青年よ、あなたに言う、置きなさい」の。どちらも命令形で強い言葉です。

◎誰が他人の葬儀で泣いている人々に向かって「泣くな」などと言えるでしょうか。最愛のものを失った人に寄り添い、共に涙を流すこと以外できないはずです。しかし、イエスさまは死を克服できる方として、命令されたのです。

◎その命令の言葉が、死人に向かって「起きなさい」とまるで眠っている人の目をさまさすように。ラザロを生き変えさせられた主を思います。イエス様にあっては、死んだのではなく眠っているのです。キリスト者のよみがえりの希望です。

◎この二つの言葉を語られる動機がありました。母親に対する強烈な同情です。「かわいそうに思い」とありますがその意味は断腸の思いです。内臓からの怒りと悲しみです。このような思いをもってやもめを見られたイエスさま。母と子に、目を注いで下さっていること忘れずに。