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めぐみのパンくず

“私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、わたしの頭に油を注いでくださいます。私の杯はあふれています。まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが私を追ってくるでしょう。私はいつまでも、主の家に住まいましょう。”詩篇23:5,

◎ 私たちキリスト者の生活は敵前の生涯であることを忘れてはいけません。しかし、そこにおいてこそ神さまの恵みはあらわされるのです。三つの恵みを見てみましょう。

◎ 食事をととのえて下さる恵み。ダビデが息子アブサロムに追われて流浪の旅に出なければならなかった時、マハナイムにおいて思いがけない供応がありました。バルジライ他二人の者が

沢山のプレゼントをもって慰めにきたのです。興味深いのは、食べ物の他にベットまでもって来てくれたのです。Ⅱサムエル17:27~29。

◎ 第二は頭に油が注がれることです。油は聖霊を現します。神さまは困難なときにこそ、ご自身があふれ出たいと思っておられるお方です。戦いは神さまご自身が力となって下さるために満たして下さるのです。また油は王の任職のためにありました。王のごとく困難に堂々とのぞませるために油を注いで下さるのです。

◎ 第三は杯があふれることです。使徒パウロは「艱難さえも喜んでいる」とロマ書5:3で語っていますが、供応者であられる神は艱難の中にある時にこそご自身の愛をいっぱいに注ぎたいと願っておられるのです。ダビデのように

これらの恵みは命の日の限り追ってくるとダビデは告白しています。敵に負けない信仰の闘いが主にあって用意されているのです。

めぐみのパンくず

“そのとき、イエスは彼女に答えて言われた。「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどうりになるように。」すると、彼女の娘はその時から直った。” マタイ15:28

◎ 聖書には「母」がよく出てきます。神さまご自身の愛を母の愛情にたとえたり、キリスト者の慰めの姿であったり、また、イエスさまはご自分の母であるマリヤに十字架の上まで愛を示されました。

◎ 母の祈りに学びたいと思います。カナンの女の娘が悪霊に取りつかれ、ひどい病気になったのです。イエスさまの癒しの力に何とかして欲しいとやって来たのです~が。そこには三つの否定が待っていました。

◎ 第一にイエスさまの「沈黙」です。祈っても応答がないこれは辛い事であり、祈りを投げ出したい気持ちになるものです。しかし、叫び続けるのです。そのひつこさにしびれを切らしたのが弟子たちでした。弟子のことばにイエスさまがやっと口を開かれると。

◎ 第二に「関係ない」とのつれない返事です。異邦人であるカナン人とは関わりなしと言われるのです

◎ 第三に「犬扱い」です。幸いなことにこの犬は野良犬でなく飼い犬ですが、それを知っていたかどうか女は、犬のようにへりくだって「子犬も食卓から落ちるぱんくずはいただきます。」と願うのです。

「あわれんで下さい」vs22。「助けてください」vs25と心から問題において叫ぶことのできる信仰の母を主は待っておられます。